新刊新書の「定年後」バトル 1

新聞を広げて新刊本の広告を眺めていると、高齢者向けのハウツー物がつぎつぎ出ているのに気づく。ここ2、3週間でも「おひとりさまの豊かな老後」「一流の老人」「老人の取り扱い説明書」「認知症にならない『脳活性ノート』」「老後はひとり暮らしが幸せ」」「孤独のすすめ」、年齢を刻んだ「人生は70歳からが一番面白い」「はじめての八十歳」「百歳人生を生きるヒント」「100歳の生きじたく」、さらには「死に支度」や「身近な人が亡くなられた後の手続きのすべて」なんてのまである。

かつてどの国も経験したことのない超高齢化社会を迎えた日本で本を売ろうと思えば、こうなるのももっともだが、団塊の世代が定年を迎え、前期高齢者にすっぽりとはまったタイミングが、いっそう勢いをつけている。世代ボリュームが社会に与える影響は大きい。団塊の世代は、そう名づけられてからずっと世相を形作り続けてきた。

私は、できれば死ぬまで仕事を続けるつもりでいたが、頭も体もすこしずつ弱ってくるとそうも行かくなる、と最近になって感じるようになった。さてそうなると、5年も10年も前にリタイアした同年代の人たちが、どんなふうに暮らし、どんな問題を抱えているのか知りたくて発刊3カ月で12版を重ねた新書「定年後」(中公新書刊。楠木新著)を読んでみた。

プロローグからいきなり驚く。手回しのよい会社では、社員が50代になると定年後に向けてライフプラン研修を開くのだそうだ。その内容がどのセミナーでも①受け取る年金額をきちんと計算して老後の試算を管理すること②今後長く暮らすことになる配偶者と良好な関係を築くこと③これから老年期に入るので自分の体調面、健康にも充分留意すること④退職後は自由な時間が生まれるので趣味を持たないといけない―とおおむね決まっているらしい。

ところがそううまくいくかというと、現実には充実の老後というにはほど遠く、こんな指摘も引用している。「とにかく朝起きて夜寝るまで何もやることがない。友達もいない。電話をかける相手もいない。これでは生きていることがむなしくて仕方がなくなる。それはある意味、死ぬほどつらいことですよ。(中略)むなしくて病気になるのです」

会社人間が準備もなく会社を辞めると、社会から孤立し居場所さえ失ってしまう。図書館やショッピングセンター、ひとりカラオケで暇つぶしをするのでなく、生きがいのある輝く第2の人生を築くには、資産管理、雇用延長や転身、健康維持、人づき合い、社会貢献、居場所探し、あれやこれやを……というわけだ。

そういうもんかと読み終わったら、数日後の新聞の新刊広告で「定年バカ」(SB新書。勢古浩爾著)が目についた。身もフタもない書名も書名だが、そのオビに「ベストセラー『定年後』に影響されて、充実した定年後にしなきゃと急かされない!」とキャッチコピーがある。こんなにストレートに名指しで反論をぶつけた本も珍しい。これはどうしても読んでみたくなる。(つづく)


おまじない

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見掛け倒しで終わりませんように




それでもそろそろ4冊目?

ブログに掲載した話をまとめて3冊目の本を出してから3年半になる。ブログはその後も継続しているから、また溜まってくる。150話も書けば、1話1000字見当で15万字。時事ネタのように賞味期限のもたないものなどを除いても、7割残せばまた本になる。

本にする以上は読んでもらいたいから、最初の「虫瞰の風景」は出版社―取次店―書店を通して販売に力を入れた。当時私は東京郊外で地域紙を発行していたから、講演を頼まれたついでに即売会を開いて手売りするなどした。ところがこの出版社が、販売条件をあとから勝手に変えたのでトラブルになった。

それに嫌気が差して次の「一隅にも五分の魂」は自分の新聞社を発行元にした。3冊目の「右も左もウオッチング」の時は、私が現在の会社に移っており、発売元のISBNコードを取得してアマゾン扱いで流通に乗せた。

どの売り方も思ったほどは売れなかった。本の売れ行きは著者の知名度や宣伝で決まる。本は中身を読んでから買うわけではない。たとえばタレント本なら、中身なんかどうでも、ゴーストライターがタレントの名前で書いて売りさばく。当たり外れの大きい出版業界で、それでなくても出版不況のこの時代、一定量の売上が見込めるこのやり方は手堅い商法だ。

図書館のほか、知人や友人などに贈呈したりもした。反応はいろいろで、高校時代の同級生に1冊目をあげるよと渡したら「本を冒涜するな。ちゃんと買う」と言い、さらに「エッセイなどは滅多に読まない娘がとても面白がって読んだ」と読後の好感を伝えてきたのに、2冊目の時は、話に登場する「Aさん」とはあいつのことだろう、とモデルの取り上げ方にクレームをつけてきた。2、3の仲間うちで物議を醸したようだ。

たしかにAさんはあいつで、同級生が読めは容易に見当がつく。しかし同級生向けの暴露本などでは元よりない。私はAさんの生き方に人間の本質の一面が興味深く表出しているのを、切り取って見せたのであって、それが実在のだれであるかが問題なのではない。クレームをつけた彼は国立大学の元教授で、結構理屈っぽいが、芸能誌のうわさ話をあれこれ詮索し合うような読み方もするんだなと、意外な一面が発見できて面白かった。こんなことを書くとまた物議を醸す。

摩訶不思議な人間の営みを観察し、解釈を試みるのは私のライフワークのひとつで、同級生を身近な素材として時に取り上げることは今後もあるが、趣味や暇つぶしで書いているわけではない。書かれ方によっては相手にとって迷惑でも、筆禍を気にして毒にも薬にもならないことを書くぐらいなら、最初から書かないほうがよい。実名を出したことは一度もなく、そういう配慮はきちんとしている。

大して売れもしないのに、手間をかけて本を出し、思わぬ問題が起きる。それでもまた本を出す。人生とはそういうわけの分からないもののようだ。


おまじない

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分からないから面白い




マナーの境界

夏はノーネクタイ、というスタイルが、ビジネスの世界で定着した。炎天下、汗だくになりながら、着ることのない上着を関所手形のように持ち、「手抜きせずしっかり仕事していますアピール」を一斉にしていた時代は、そう遠い昔ではない。

一気に浸透したのは、官公庁や銀行の率先励行が大きい。省エネのため館内や会場の冷房を緩めにし、会議や会合に民間企業や取引先を呼ぶときは「ネクタイ不要。軽装でご出席ください」と案内状に付け加えた。最初は「まさかそんなわけにもゆくまい」と半信半疑だった企業サイドも、そこまではっきり言ってくれるならと安心して、あっちもこっちも違和感のない風景に変わった。

いまのところネクタイ省略は公認だが、上着省略までは及んでない。いずれポロシャツOKに進むのかどうか。「Tシャツ、半ズボンはご遠慮ください」にしておけは格好はつく。

夏が過ぎ、秋になってもまだ暑い。10月中はよいとして、11月ともなるとさすがに省エネとの大義は通らなくなるが、人間一度ラクをしてしまうと、再び自分の首を絞めようかという気になかなかならない。授賞式の晴れ舞台とか、ドレスコードがあるような場面では、マナーを守ってシャキッとするのがよかろうが、それは常ではない特別な時に限られる。暑いときに見慣れて違和感がなくなれば、寒いときも同じでいいだろう、と思いたくなる。

そういう不届き者がちらほらいて、私もそのうちの1人だ。ネクタイを結ぶのはもともとうまくもないし、手間取って面倒なので冬になってもなるべくパスしてすます。

実は靴も、ビジネスシューズからウオーキングシューズに代えた。ウオーキングといっても黒革のひも付きで、見たところ遜色はない(と思っている)。軽くてソフトで事のほか履き心地がよい。

足許はよく目立つ、人は足許を見て判断すると言う人もいるので、「おや、運動靴なんかを履いていやあがる」とひと目で見破る人もいるかもしれない。私は他人がどんな靴を履いているのか気にしたことがないが、人によっては違和感や不快感を覚えるのだろうか。

見かけや身だしなみにはあまり頓着しないが、音を立ててスープをすする人はひどく気になる。美意識は人さまざまなこだわりなので、ここから先はダメというマナーの境界を定めて共有化するのは難しい。


おまじない

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過敏にならず無視もせず




お正月 昔と今

家庭の正月の迎え方過ごし方も、世代交代とともに変わってゆく。

私が子どものころ、昭和半ばの正月は一大イベントの趣きがあった。元日の朝、父は6時に起きて仏壇と神棚にお参りをし、般若心経を唱える間、子どもは正座して後ろに並んだ。そのあと、床の間を背にした父が、一同を前にひとしきり年頭の訓示を垂れる。それから朝食になるが、おせち料理はほとんどすべて年末に家庭で用意し、子どもも手伝った。

年末といえば、大掃除は家中の畳を上げてほこりを叩き、床屋へ行って頭を小ざっぱりとし、年越しそば、紅白歌合戦。そばを食べるのは、炊いた米を残して年を越さないこと、また細く長く平穏な暮らしの願いを込めて。おせちは、毎日の炊事からせめて正月の間は主婦を解放するため、また海老は長寿、数の子は子沢山、なますはめでたい紅白、黒豆はマメに働く、とかいった縁起を込めいて、と母が解説を加えた。たぶん母も祖母から同じように教わったのだろう。

おせち作りを手抜きし、買ってすませるようになり始めたのは昭和の後半からだろうか。その後この流れはどんどん勢いを増して、いまでは一流料理店の特製からコンビ二製まで百花繚乱の盛況だ。

年頭のあいさつは、私が家庭を持って子どもが小さかった頃は全員を揃えて話したが、大きくなるにつれてバラバラに起きてくるからやれなくなった。仏壇、神棚はそもそもなく、元旦の読経もなし。子どもたちはあとから起きてきて、お年玉の請求だけは決して忘れない。

年末の大掃除は、寒いので、きれいにしてもどうせまた汚れると、形ばかりの1、2時間。床屋のおやじも「年末だからといってふだんと変わらないね。昔はやってもやっても終わらなかったけどね」。コンビ二のパスタが年越しそばの代わりとして売れる。細く長くには違いないけれど。年賀状もスマホ代用で大打撃に違いない。

今年の正月は、夫婦に子ども4人、嫁2人、孫5人で計13人。にぎやかに集まるのはおめでたいが、孫がまだ幼児乳児でちゃかちゃかしたり泣き喚いたりで、落ち着かない。ワッと集まって1泊で帰って行くのに、妻は張り切ってあれこれ過剰に世話を焼き、引き上げて行った後、案の定疲れが出て機嫌が悪い。こっちはとんだとばっちりだ。

年末年始の休みは長いので、その半分ぐらいはこれまで仕事を家に持ち込んで片付けていたが、今回は一切やらなかった。おかげで本3冊とゴルフを2回、飲み会2回に犬の世話もできた。

特別にできるから楽しいのだろうけど、仕事モードに戻るのが大変だ。


おまじない

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正月気分はまた来る日まで



燗酒の季節

白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり 若山牧水

秋の夜は冷や酒でもよいが、こう寒くなるとやはり燗酒が恋しい。

世界各地の酒は常温か冷やして飲むのが通例だが、温めて飲むのは日本酒独特で、ほかには焼酎、紹興酒ぐらいか。冷えた体が温まるし、香りも匂い立つ。寒い国のウオッカを温めないのはなぜだろう。度数が強くて火が点く怖れがあるからなのか。

牧水の歌はひとり酒だろう。語りかける相手もなく、ひとり黙然と、来し方行く末に思いを巡らしながら、しみじみと酒を味わう。なんだか八代亜紀の「舟歌」風になってきた。こういうときは湯飲みなど大振りの酒器でなく、ちゃんと銚子から手酌で杯に注いで飲むのがよい。大勢で飲むときは陽気でにぎやかだったらよいが、ひとりのときは雰囲気が大事だ。

あの歌では「お酒は温(ぬる)めの燗がいい」と言っているが、私はやや熱めにする。特に理由はないが、かなりの熱燗が好きだった父親の影響だろう。

料理屋へ行って燗酒を注文すると、1種類しかなかったりする。冷酒なら銘柄をいろいろ取り揃えているのに、燗酒は尋ねないと銘柄も分からない。その1種類が甘口だとがっかりする。甘口は口に残って、せっかくの料理の味を損なう。酒は酒としてちゃんと主張がなければならないが、料理とけんかしたのでは台無しになる。甘口、辛口は人の好みだろうが、だから好みを選べない店には、どういうつもりなんだと文句を言いたくなる。

主張と言えば、おとなしくなったのが焼酎で、昔に比べるとずいぶんクセがなくなった。乙類の麦、芋、米、そば、黒糖、どれを飲んでも大差ない。かつては九州人専用だった焼酎が、ブームで全国へ客層が広がるに連れ、製造元がクセを抜いてだれにも飲みやすく変えていったように思う。

冷酒も焼酎も、銘柄を増やして置いておけば客が喜ぶと思うのは、基本を忘れたポピュリズムでなくてなんだ。いやいや、騒いではいけない。「酒はしづかに飲むべかりけり」だった。


おまじない

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飲めるだけで幸せ





その後のコジロー

コジローに糖尿病治療を始めて4カ月近くになる。家で朝晩の12時間おきにインスリンの注射を打っている。ときどき動物病院に連れて預け、血糖値を測ってもらい、注射液を増やしたり減らしたりする。一進一退で回復しない。

治ることはないのだろう。15歳の老齢で、目は白内障、耳もあまりは聞こえないようだ。足腰も弱ってよろけたり転んだりする。食欲があるのが救いだ。うずくまって寝ていることが多いが、20分ぐらいの散歩はできる。

寒さが厳しくなってきたので、なるべく暖かい室内に置いてやりたいが、水分補給をしながら座敷や廊下、リビングでオシッコをするから困る。夜はさすがに家に入れ、寝る前に一度外に出してオシッコをさせ、室内のケージで寝かせるが、昼間るすにするときは家の裏手に出す。引っ越してから犬を放すには北向きのスペースしかなく、日当たりが悪くて体にこたえるだろう。犬小屋を用意して毛布を敷いているが、クマゴローが独占して、コジローは入りたがらない。

2匹をかわいがっていた娘が、年末には一時帰国するので、それには間に合うが、遅かれ早かれいずれ時間の問題だろう。忍び寄る死の影を、犬はどう感じているのか。

よい一生だったとか、まだやり残したことがあるとか、死ぬのが怖い、あの世はどんなところかとか――まさかそんなことまで思っていないだろうが、象は自らの死を察知して死地に姿を隠すとも言われる。犬は人間の3歳ぐらいの知恵があると聞いたから、最近どうも調子が悪いなぐらいは感じているに違いない。糖尿病が進行すると精神異常を起こすこともある、と獣医師から聞いた。

看護する私のほうも、朝晩の注射、寒さ対策、食欲チェック、オシッコ配慮など長期化するとだんだん気疲れがしてくる。忘年会に出かけるとちょうどよい気晴らしになるが、酒を飲んでいてもついどうしているか気になる。

相手が人間の場合ならどんなに大変だろうと思う。親の介護でそういう話をよく聞くが、大変でも、生きている間にできるだけのことをするのが、死んでからできなかったと後悔するよりも、心残りがなくていいだろう。


おまじない

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終わりよければすべてよし




やがて引き際が

歳のせいか、近ごろどうも体力、気力、知力が、以前と同じようには働かないな、と感じている。特に記憶力と注意力がいけない。

新聞を読もうと思ってメガネがない。ありそうなところを捜して見つからない。家の中にはあるはずだが、どこに置いたか記憶をたどってもさっぱり思い出せない。なにか必要があってメガネをはずしたはずだが、そっちの用に気を取られて、なにげなく置いたメガネには注意が行っていない。

スマホはいつもポケットの中か身近に置いているが、ときどき忽然と消える。通話とメール、ラインぐらいしか使わないが、それでもないと外部との連絡が遮断されるからあわてる。だれの電話番号もアドレスも覚えていない。便利な機器は、アクシデントがあるとお手上げになる。

財布を忘れて出かけ、目的地に着いてから気がつく。床屋で1回、コンビ二で2回、ゴルフ練習場で1回。ゴルフ場では、クラブを入れたバッグを残したまま手ぶらで帰ったこともある。

だれでもそういうことはあるよ、歳のせいじゃない、とたいていの人は私の嘆きをなだめてくれるが、どう見てもこれはぼんやりしていて頭も気も回っていない。認知症でなくても、加齢とともに脳はだんだん縮んで衰えるそうだ。

他人任せで、ぼーっと老後を過ごしているわけではない。頭はむしろよく使っているほうだ。あれがすんだらこれをやって、と公私のスケジュールを日々組んで、忘れないようにメモし、すませたら線を引いて消すようにしている。ところが、そのメモをなくす。

これは大事と、きちんとしまっておいたものが、さてどこにしまったか思い出せないこともある。自分で自分が情けなく、腹立たしい。

毎年年度初めに、全社員を集めて新年度方針や課題を説明している。原稿を用意して頭に入れて話す時間が昔1時間、今40分。なかなか覚えきれない。2時間近い講演をしたこともあるのに。要するに、やろうとすることに頭がついてゆけないのだ。昔はやれた。

体力も落ち、仕事で疲れも出るので、むりをしないで長持ちをさせようと、仕事を減らした。以前は、仕事を辞めたらきっとやることがなくなって困るから、ずっと働くのがいいと思っていた。負担を軽くしてみたら、会社に来てもその分ヒマができてやはり困る。

そろそろ引き際を考えておかないと老害になるが、後継がまだ若いので、もう少し粘る。いよいよ限界が来て、頼りなくなった自分に自分で用なし宣言を下す時は、どんな気分になるのだろう。


おまじない

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自覚のあるうちが花





お歳暮の痛しかゆし

お歳暮のシーズンになり、デパート、スーパー、老舗名店は書き入れ時に突入した。贈答品を西へ東へ届ける運送会社も俄然忙しくなる。普段と違う季節特定の儀礼や慣わしは、消費を刺激して経済効果を上げる。

お世話になったあの方に、感謝の気持ちを形にして贈り物――他人に気を遣われて悪い気のする人はいないが、「供応は懐柔策」と抵抗を感じる四角四面の人もいる。「心ばかりのもの」「ほんの気持ちのしるし」というなら、お気持ちだけ受け取っておけばよい。

そんな堅物でも、前から欲しかったものや、これには目がないという大好物が的中して届くと、日ごろの主義主張がぐらりと揺らぐこともあろう。でもそんなことは滅多にない。

昔、昔の話。商用で台湾によく出張する人から、父が名物のカラスミをもらい、大してうまくはなかったが、外交辞令で「いやあ、絶品ですな。堪能しました」とお礼を言ったら、その後出張のたびに贈ってくれて持て余し、心にもないことを大げさに言うものじゃないと母に叱られた。かといって、せっかくの厚意をうまくないとも言えない。

こういうことは私も経験がある。お中元、お歳暮の時期になると、息子の嫁の実家からカートン入りの缶ビールが、毎回贈られて来る。しかし私は、夏は焼酎の水割り、冬は日本酒の熱燗が主で、ビールやワインは気が向いたときしか飲まない。それに貰いっぱなしでは礼儀を欠くから、こっちからもなにか贈らなければ具合悪いが、手配が面倒だ。

相手が親戚でもあり、まあお互い杓子定規なことはなしにして、と息子を通じてやんわりと断ったのだが、相手は律儀な人で、そんなわけにはゆかない、とやめてくれない。そこで贈ってくれるなら、焼酎や日本酒がいい、とこれも息子を通じて打ち明けたのだが、なぜだか相変わらす缶ビールが届く。もうそれ以上は言えない。ビールは妻や別の息子が遠慮なくぐいぐい空ける。それを傍で見ながら、焼酎や日本酒だったらいいのにな、とどこか気に入らない。

ある取り引き先からは、夏は梅干、冬は柿が、これも毎年判で押したように同じものが届く。両方とも存在感どっしりの上級品だが、梅干は塩分に気をつけたいし、柿は、家の庭で取れる柿の方が小ぶりで見た目はよくないが、味は優る。

もらい物に文句をつけるのは礼を失するが、ほしい物は身銭を切って買うのが間違いない。大事に使い、味わい、手に入れた満足感が広がる。

他人に贈ったお歳暮は、その後どんな運命をたどるのか。贈り物をするのは結構むずかしいことだ。


おまじない

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お好み事前アンケートが名案かも




めげても、めげなくても

これまで生きてきて、苦と楽とどっちが多いか、と2人の男に聞いてみた。両人の実感はいずれも「苦が7、楽が3ってとこかな」。

苦の方がずっと多いが、さりとてこれといって対策も修正もままならず、せいぜい気の持ちようを心掛けながら、なりゆきまかせで行くしかない。

思いどおりにならない人生は、求めるものが過分なのか、世の中が理不尽だからなのか。人の不幸は蜜の味、というのも、ひどく不運、不遇な人に同情の念を持ちつつ、あの人に比べれば自分はまだマシと、ひそかに慰められる気持ちになるからなのかもしれない。

他人を自分と比べて見下したり、うらやましがったりするのは、卑しい人間のすることだ。自分の選んだ道、あるいは与えられた道であっても、そしてその道が思うに任せぬ苦難続きであったとしても、強い気持ちで自分流を貫き、生き方を全うする――そうできるとよい。

しかし、妥協なく信条や信念を押し通そうとすると、周囲との人間関係もややこしくなって、ますます生きにくくなる。特にごく身近な人との摩擦やすれ違いがあると、ダメージが大きい。やっかいな話だ。

私はストレス耐性がかなり強い方だと思うが、ときどき生きているのが面倒くさくなって、死ねばこの世のやっかいごとから全部解放されて、楽になるのにな、と思わぬでもない。しかしビルの屋上から飛び下りるのは痛かろう。首を吊るのは苦しかろう。死ぬのも楽ではない。

「バカバカしい人生よりバカバカしいひとときがいい」という黒沢年雄の虚無的、刹那的、享楽的な歌と、がんの宣告を受け、目が覚めたように余命を使命達成に賭ける区役所の課長の姿を描いた黒澤明のまっすぐな映画「生きる」が頭の中で交錯する。

「自分の方がまだマシ」とは逆に「自分だけではない。何事もないような顔に見えて、なかなかどうして他人もまた、何事もないわけがない」と思ったほうが気が楽になる。

何事もないような顔といえば、タヌキと評された徳川家康の遺訓を思い出す。「人の一生は重荷を負(おひ)て遠き道をゆくが如し いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし(後略)」

なるほど大した達観だ。


おまじない

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家康もいろいろあっての達観




白鵬の思い上がり

大相撲九州場所11日目の取り組みで、嘉風に敗れた白鵬が、立ち合い不成立だと土俵下で抗議を続け、嘉風の勝ち名乗りを妨げる態度を取った。

立ち合いは、嘉風が先に両手を付き、後から白鵬が両手を付いて左手で相手の頬を張っているから成立している。組んだ後、明らかに自分から力を抜き、「待った」で仕切り直しと判断したようだが、判断するのは行司で、力士ではない。白鵬がそれを知らないわけはない。ヘボ将棋ならそんな「待った」もあろうが。

白鵬はもうひとつ基本ルールに違反を重ねた。勝敗の判定に異議、つまり「物言い」を唱えられるのは審判と控え力士だけで、対戦した本人にはない。それがルールだ。

スポーツによっては、テニスのようにプレーヤー本人にボールの落下点がラインの内か外かのビデオ判定を求める権利を認めている。バレーボールでは監督に認めている。野球でも認めていて、執拗な抗議や暴言、暴行を働くと退場処分になる。

サッカーではイエローカード、レッドカードに抗議しても覆らない。柔道では、シドニーオリンピック100キロ超級の決勝戦で大誤審があり、篠原選手が金メダルを取りそこなった。試合後、日本選手団が猛抗議したが、試合後の抗議は受け付けないのがルールだった。篠原は不満を漏らさず潔かった。

白鵬の執拗な抗議は、当然ながらルールをよく知った上での言動だろう。それは何を物語るのか。

朝青龍が全盛だったころ、後を追って上って来た白鵬は、やんちゃで悪役キャラの朝青龍とは対照的に、双葉山に学び、大鵬を師と仰ぎ、相撲道をわきまえ、礼儀正しく好感が持てた。

変わり始めたのは優勝回数で大鵬を抜き歴代トップに立つ前後のころからだ。土俵を割った相手にダメ押しをしたり、勝ち名乗りを受けたあと、どんなもんだの表情で、賞金袋を掴んだ手をことさらに振ってみたりする。

ダントツの大横綱、白鵬一強のこの俺なら、特別にルールを曲げても相撲協会は気を遣って道を空ける――そう思っているとすれば、精進してきた過去を自ら台無しにすることになる。


おまじない

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どこかの首相の振る舞いに似ていると思うのは気のせいか





年賀状異変

断捨離をしていたら未使用の年賀ハガキが数年分出てきた。未使用といってもイラストと定型のあいさつ文が印刷してあり、あて名の入っているものもある。用意を整え、一筆手書きで書き加えて出すつもりで、出さなかったのだ。こういうことをするのは妻しかいない。

年末落ち着いてからとか、除夜の鐘を聞きながらとか、年が明けないと気分が出ないとか、先延ばしにしているうちに松が取れ、今年はまあいいかというパターンを毎年のように繰り返している。見ていてアホらしいから、私は最近、自分の分しか年賀ハガキを買ってこない。

使わなければムダになるからといって、数年前までの年賀ハガキを来年用にリユースするわけにもゆかない。郵便局に持ってゆけば手数料を引いて官製ハガキか切手に換えてくれるが、そんなにたくさんもらっても必要ない。近ごろはメールかラインでたいていの用が足せるし、その方が速い。官製ハガキもたくさん残っていて、これはもっと以前の年賀ハガキを換えた分だった。

そうだ、古い年賀ハガキを新しい年賀ハガキに換えてもらえばいいんだ、と思いつき、郵便局に行ったら、アウト。年賀ハガキには換えられない。はすれのお年玉くじを換えて、もう一度当たりくじのチャンスがあるって、そんなことを考える人もいないだろうが、理屈ではそうなる。

しかたがない、来年用は官製ハガキに「年賀」と朱書きして間に合わせようと思っていたら、官製ハガキを持ち込めば年賀ハガキに換えて印刷してくれるという印刷屋が見つかった。それは渡りに船というものだ。

ハガキは6月に52円から62円に値上がりしたが、来年の年賀状は1月7日までに投函すれば52円で扱う。郵便局がこんな変則技を使う背景には、年賀状の需要が年々減っているからなのか。スマホ、ラインの代用のほか、型通りの儀礼的な意味の強い年賀状が、昔ほどは重視されなくなっている。

売上が減って困るのは印刷屋も同じ。サービスをプラスして注文確保なのか、あるいは62円の官製ハガキを受け取って、52円の年賀ハガキを渡せば、手元の官製ハガキを利用して寒中見舞いや引っ越し通知の受注時に使って、利益確保につながるのか。

来年の年賀ハガキ事情は、推測を重ねるたびにわけが分からなくなる。


おまじない

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憶測も脳トレのうち




人間なのか、ロボットなのか

北隣りの家に移転した際、システムキッチンを移設したが、使い始めると組み込みの食洗機が少々水漏れするので、キッチンメーカーから食洗機メーカーに修理の依頼をしてもらった。

翌日早速食洗機メーカーから連絡があり、土曜日に来てもらうことになった。何時かと聞くと、当日の午前9時から10時の間に電話して、訪問時間を連絡すると言う。何時になるか分からなければ、その日は1日中待機していなくてはならない。

自分達の都合でスケジュールを決めるなよ、と思っていたら、次に「修理費用はお客様負担でと、キッチンメーカーのお話ですがよろしいですか」という。「経年劣化ならこちら持ちだが、移設時のメーカーによる不具合なら相手持ちにすべきで、修理前に相手が勝手に決めるのはおかしい」と文句を言った。

「ではあす9時から10時の間にご連絡しますが、電話はケータイ、家(いえ)電どちらにおかけしましょう」。どちらでもよい。ひとつかけて出なければ、もうひとつにかけてみればよい。そんなこといちいち聞くなと思う。

相手は若い女性のようで、話し方もやり取りもマニュアルどおりの紋切り型で、個別の状況に合わせた対応ができない。人間と話しているとはとても思えない。

最近、同じような経験がもう一度あった。テレビ、パソコン用の光ファイバーの移設依頼のとき、工事の日程が決まるのが1カ月後で、工事はそこから2、3週間後と言われ、耐震工事の工程や引っ越しのタイミングを、おたくの気長な配線日程に合わせるのは現実離れしている、とさんざん説明したが、“お知らせ嬢”は決まりどおりの応対から一歩も出なかった。

このときはあとでこちらから電話をかけ直して事情を話したら、あっさり特急処理が通った。今回も同様にかけ直し、午前中の来宅希望を受け付けた。苦情窓口には血の通った人間を配置しているらしい。

近ごろはAI(人工知能)ばやりで、このまま進むと人間の仕事が奪われるとか、人間がAIに使われるようになるとか、心配する声も出ているが、いやそれ以前に、人間のロボット化がすでに始まっている。

ハンバーガーとコーラを10数人分、大量に買い込んで持ち帰ろうとファーストフード店で注文したら、マニュアルどおり「こちらでお召し上がりですか」と聞かれたという笑い話は、ずいぶん前に聞いた。

さて食洗機。見てもらうと部品交換が必要だが、部品はすでに製造中止になっており、そもそも業績不振から家電部門を売り渡したあのメーカーのもので、食洗機は今はもう製造していない。3分ほど見て、点検料3780円を受け取って帰っていった。修理を取り次ぐ前に、あるいは修理に来る前に、無駄足かもの判断をしてほしかったが、ロボット化人間にそんな気配りを期待する方がむりな話だ。


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受付窓口と苦情窓口では人手が二重になると気づいてくれますように




デパートでお買い物

私はデパートが嫌いで滅多に行かない。ものの溢れた売り場と人混みの中を歩いているだけで酔い、1時間もいるとすっかり疲れてしまうのだ。

靴とか衣類とか必要があるとしかたなく出かけるが、妻の運転に身を任せ、店内では後から付いて行くだけで、用をすますとさっさと帰りたい。ところが妻のほうは、目指す売り場の途中でちょいちょい足が止まり、予定外の品をあれこれ物色し始めるから、なかなか目的地にたどりつかない。それが嫌で、しばらくは何年も行く機会がなかった。

しかし、手持ちのスーツがだんだんくたびれてきて数も減り、数着を使い回しするのも都合が悪くなったので、先日の日曜日、重い腰を上げる決心をした。さっと決めて、さっと帰りたいので、1人で行って開店と同時に入り、2着選んでわき目も振らず帰る計画を立てた。

ところがまず駐車場でつまづいた。自分の運転で行ったことがないので、あらかじめ地図で確かめておいたのに、うっかり通り越し、繁華街をぐるぐる戻るのも面倒なので、別の駐車場に入れた。これぐらいは想定内。

5階の売り場に進むと、ブランドごとにずらずらと10店あまりが連なっているが、そういうことにはとんと疎くて、昔ながらのダーバンかバーバリーぐらいしがなじみがない。こんなにたくさんあったのでは、店を絞るのも大変だが、まだ客足もまばらで通りかかる店ごとに店員がこっちに眼(ガン)付けする。相手エリアに足を踏み入れると、キャバクラの客引きみたいにつかまりそうなので、遠めに一巡して3店舗に目星をつけた。

さて各店で2着ずつ選んで、比べるためにもう一度回ったのだが、2店目がどこだったか忘れてまごまごした。私の方向音痴は死ぬまで治らない。

1着は決まったが、もう1着が決まらない。面倒なので、接客していた店員が着ていたスーツと同じので間に合わせることにした。彼はスタイルがよいのでよく似合うが、私が着てどうだか分からない。とは思ったが、衣類は暑さ寒さをしのぐのが基本と考えれば、あとは大した問題ではない。

さっと決めたつもりだが、寸法直しなどもあって、結局1時間あまりかかった。ファッションとかおしゃれとか言い出すととても面倒な世界が、私の知らないところにあるようだ。


おまじない

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外見もそこそこ大切にしましょう





続・断捨離奮闘記

このところプライベートでは犬の看護と耐震工事、オフィシャルでは半期の業務見直しやプロジェクトの評価が重なって、ブログに6週間のブランクができてしまった。

このうち耐震工事がほぼ終わり、少しは先の目鼻がつくと思ったが、とんでもない、工事のため一時預かりにしていた家の家具やダンボールが戻ってきた上に、南隣りの現在の住まいの断捨離をして、残したものを北に運んで配置しなければならない。南の家は取り壊すので、空っぽにして解体業者を待つ。

移動もいっぺんにできればよいが、本体工事がずれ込んだため、システムキッチンが先行して給水が間に合わない、水道が通っても引っ越しが遅れるなどちぐはぐになり、しばらくは毎度の外食で嫌気がさした。

2度目の断捨離は1度目とは様相を異にしていた。1度目は物持ちがよすぎて難儀をしたが、今度は整理管理の悪さが行く手を阻んだ。

納戸にはあれやこれやが山と詰まれ、分け入ろうにも通路も塞いで踏み込めない。手前から順に手をつけ、半ばから先は25年近く前の引っ越しで運び込んだまま眠っていたものがつぎつぎと現れた。

妻には「これじゃあ納戸でなく、とりあえず放り込む“蹴込み部屋”だよ」と何度も注意を促してきたが、収納スペースが広いと、なんでも詰め込めるからこうなってしまう。倉庫が大きいとつい死蔵在庫が増える企業とよく似ている。

4半世紀の間、用なく困らなかったものは、大胆に捨ててもこの先支障ない。これでいったんすっきりするが、安心するのはまだ早い。移った先で油断をすればまた元のモクアミになる。

ミニマリストになるのも楽ではない。これからは年1回、寒さ厳しい年末ではなくできれば気候のよい春秋の2回、気分よく家財の点検を敢行し、不要になったものは都度処分することにしよう。継続使用や予備品は場所を決めて把握し、重複購入を防ぐ。

ものを増やさない一番簡単な方法は余分なものを買わないことだ。なんだかトヨタ生産方式みたいになってきた。


おまじない

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限られた資源を大切にしましょう





愛犬看護

コジローが左側に偏りながらヨタヨタ歩くので、どこか具合が悪いのかと、動物病院に連れて行ったのが6月中旬。医師の見立ては、歳も歳ですしね、特にどこかがというわけでないので、少しようすを見ましょう、ということだった。

コジローは15歳、人間で言えば後期高齢者だから、そんなものかとひとまず安心した。

ひと月ほどして今度は食欲を失い、見るからに元気がない。昼間は庭に出してあり、日陰で寝そべっているが、連日の暑さにやられたのかもしれない。さっそくまた病院へ。同じ医師の診断で、体温は正常、熱中症の心配はない、と帰された。

水をよく飲むので、なるべく涼しい部屋に入れてやり、給水にも気をつけていたが、8月下旬になって、食べたものを戻すようになり、室内でオシッコの粗相をするようになった。そのたびに雑巾で始末をするが、オシッコが妙にねっとりしている。

そこでまた病院へ。前の医師と違う副院長が見るなり、以前のコジローとはずいぶん違う、預かって検査しますと言うので、即入院となった。

血液検査とエコーの検査の結果、糖尿病と肝臓の腫瘍を併発、食べ物を戻すのは胃の出口を腫瘍が圧迫していると診断された。血糖値が600以上あり、基準値上限の125を大きく超えている。インスリンを注射して300に下げたが、この先、容態が急変することもあると言われ、苦しむようなら安楽死もと考えが浮かんだ。もっと早く見つけてくれればと、前の医者に文句も言いたいところだが、犬は自分で症状を説明できないし、健康保険が利かず診療費が高額になるので、そこまでしなくてもと思ったのかもしれない。

ひと晩預け、翌日引き取りに行くと、前日より元気になっている。自宅で12時間ごとにインスリン注射を続けることになり、薬剤と注射針一式を受け取った。まず血糖値、腫瘍は後回しの方針だが、実際のところ老犬に腫瘍の除去手術はムリで方法がない。

この話をアメリカに戻っている娘に伝えると、すぐにも帰国したいと言い出した。新学期のガイダンスが始まるので、合い間を縫って1日、2日のとんぼ返りになる。コジローを一番かわいがっていたのが娘で、気持ちは分かるが、こういうときにドタバタするのはよくない。コジローのようすを見ながら知らせるので、あわてず帰国のタイミングを計るよう落ち着かせた。とはいえ、いつまで大丈夫という保証はない。

私は両親、兄姉の死に目に一度も立ち会っていない。事情はそれぞれ違うが、ひとり残された今は後悔が立つ。相手は犬でも、娘にとってはわが子のようなものだから気持ちは分かる。

翌週、病院で血糖値を測ると150に下がっていた。注射が効いているようだ。歩行もしっかりしてきた。腫瘍に大きな変化はなく、進行が遅いか、良性の可能性もあるというので希望が出てきた。

9月下旬か、11月のサンクス・ギビング・デイかと延ばしながら、年末年始の冬休みならゆっくりできるけどな、などと娘にメールを打つ。注射は命綱。そうとは知らずコジローは、準備を始めると察知して逃げ出そうとする。コラッ、ちょっとガマンしろ、透析している人なんかもっと大変なんだぞ、と叱っても、犬には分からない。

悪戦苦闘は長期戦の気配。よいような、大変なような。


おまじない

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後悔のないよう、死に目は大切に





窮地が変革を生む

それまでの管理部は、社内でも最も陣容が安定した部門だった。12人の組織に部長1人、課長が3人。部長は、新工場の立ち上げや現地法人の撤退、社外株主からの株式回収、金庫株の導入などを手がけて実績を上げ、45歳にして経営の知恵袋、懐刀の信頼を得て、取締役就任が内定していた。

しかし3年半前に心筋梗塞で突然の他界。生還もなにも、手の打ちようがなかった。
決算日が2カ月半後に迫っていた。次年度の予算編成も始まっていた。数字をまとめ上げる作業のすべてが経理課長に託された。

課長は夜の10時、11時、あるいは日付の変わるまで仕事の処理にかじりついた。「君が倒れたら、この会社はどうなる。遅くとも8時までには帰ってくれ」と私は再三注意したが、彼はやめようとしなかった。

危機を短期で乗り切り、しかし以前と同じようには戻らない。5カ年計画の策定も、全社横断編成チームに加え、自前でなんとか作り上げたものの、次の強化策を打ち出す時期に入っていた。

その矢先、経理課長から辞表が出た。母親の認知症が悪化し、危うく火事を起こしかけた騒動もあり、目が離せなくなったと言う。奥さんが付いているものの、いざというときすぐに自宅に戻れる至近の職場に転職したいと。

困ったことになったと思ったが、彼の家庭の事情も深刻で、慰留は難しい。介護に行き詰まり、思いつめて無理心中や介護殺人に行き着いたニュースが私の頭に浮かんだ。受理するしかなかった。

経理に残るのは一般職が3人。総務課長と購買・情報課長はいるがそれぞれ専任化しており、経理財務は門外漢で経験もない。

空いた穴は、キャリアのある人材を中途採用することになるが、これが案外難しく、いきなりの管理職採用は、今まであまり成功していない。社風も業務の前提条件も進め方も求めるマインドも違う。とりわけ大手から来た人は、ほとんど見掛け倒しだった。

まず業務内容の現状把握と、社員との人間関係作り。なじんでもらいながら力量発揮の短期目標、長期目標を見せる。うまく行っても5年はかかる。

いるかいないか分からない人をあてもなく待っているより、すぐに始めることは何か。穴を埋めるものがいなければ自分で埋めるしかない。私は財務分析の連続セミナーに参加し、夏休みは管理会計の本を買い込んで取り組んだ。

一方で管理部の合同ミーティングを定例で始めた。課と課に互換性を持たせて人事に流動性を引き起こすためだ。もともと管理部だけがこの弱点をはらんでいた。

その後、課長候補の採用が決まった。勝負はこれからだ。


おまじない

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腹が据わればなんとかなる





70の手習い

振り替えで夏休みを取ったので、会社の夏季休暇はずっと自宅で「管理会計の基本」(千賀秀信著、日本実業出版社刊)という本に取り組むことにした。

私はもともと数字に弱い。小学校のクラス委員で会計の係りにされたとき、ちょいちょい数字が合わずに苦労した。数字なんてものは大づかみに大体合っていればいいという主義なので、経理マンが合計額に1円でも狂いが出れば、合うまで何度でもやり直すと聞いたときは、大変なんだねと思った。金額の大小ではなく、どこかに間違いがあれば全体の信用性がなくなるということだそうで、そりゃそうだねぐらいは理解できた。

その私がこの歳で、いまさら一から財務分析の勉強をやり直すというのには、深いわけがあるのだが、それはさておき、読んでみると所々面白い話が載っている。

たとえばファーストフード店でハンバーガーとフライドポテト、コーヒーのバリューセットを注文すると、単品で合計するより安くてトクをした気持ちになる。パソコンに初期設定サービスがついていると、そりゃ手間いらずでご親切にと思う。それが管理会計で言うと「限界利益率の高い商品やサービスをセット販売することで……固定費が変化しなければ損益分岐点の売上高は下がる」ことになる。設問を解いてみるとたしかにそうなる。

ホテルのコーヒーは喫茶店と比べてバカ高いが、材料費など知れたもので、大差があるわけではない。これはホテルの豪華な設備、グレードの高い従業員の接客サービス、ブランド価値など付加価値を生み出すために減価償却費、教育訓練費、人件費などの固定費をかけて顧客満足を得る企業戦略の結果。

手洗い洗車は機械洗車の倍以上するが、その意味はまた違う。洗車の人が、洗車の間は他のサービスを行うことができないので、機会損失が生まれる。つまり手洗い洗車には機会原価なるものが乗って来るというわけ。

営業キャッシュフローを見るときに、売上債権の増加を利益から差し引くことは知っていたが、読みながら、昔見たスナックの壁の貼り紙を思い出した。「ツケにしたいはヤマヤマなれど、貸せばあなたが来なくなる」。飲み屋の強みは現金商売で、その日その日の日銭が入ること。ツケはつまり売上債権で、日銭が入らなければキャッシュフローが悪化し、下手をすれば貸し倒れになる。

この本は例を挙げながらの説明で分かりやすいが、設問を電卓片手に解いていると、だんだん頭の中が数字でいっぱいになる。パンクしそうになると、テレビをつけて「やすらぎの里」や「サワコの朝」、「ドキュメント72時間」の録画を見てひと息つく。最初のうちはそれでよいが、最終章の「戦略的意思決定に役立つ考え方」になると、かなり手ごわくなって息切れがし、(まあ、世の中そう計算どおりにはゆかないでしょう)などと自分を慰めてみたくなる。

こうした計数管理や財務分析と対極にあるのがKKD(勘、経験、度胸)で、最近は軽い扱いを受けるが、経営にはこれも必要でそうバカにしたものではない。

と言い訳しないで、よくできた本なので、座右の書にして使いこなせるようにしよう。これまで座右の書は「平家物語」と「歎異抄」だったのに。タバコが増えるわけだ。


おまじない

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小中学生のみなさん、夏休みの宿題はお早めに





一流との差

会社の夏休みは8月のお盆の前後だが、私は7月末に振り替えて、東京港から北海道クルーズに出かけた。留学中の娘が1年ぶりに帰ってくるのに合わせた。

船旅は今度で3回目。函館、網走、利尻、小樽に寄稿するたびに半日程度のオプショナルツアーを選べるが、あとは船内で過ごす。列車や飛行機のように荷物を下げて移動したり、ホテルを渡り歩かずにすむのでラクチンだが、乗客が飽きないように船会社もいろいろと目先を変えて暇つぶしを用意している。

インストラクターのついたストレッチや甲板ウオーキング、フィットネス、あるいはウクレレ、チェス、社交ダンスの初心者教室などのほか、ショーや音楽のライブも毎夜用意される。

こうしたライブの出演者は、中には日本人もいるがイギリス、アメリカ、ロシアなど各国からのダンサーやミュージシャン、マジシャンで、去年見た顔もある。船会社と継続的に契約しているらしい。

芸能の世界で生き抜くには実力のほかに運もいる。若いうちの勝負だし、人気も移ろいやすく、将来が保証されているわけではない。それが分かっていてこの世界に飛び込むのは、歌や踊りが好きでたまらないというよほどの思いがあるのだろう。いくらがんばっても夢叶わず、消え去る人が大半の中、プロとして認められ、比較的安定して生計が立てられるのだから、なにはともあれその道の恵まれた成功者といえるのだろう。

ただ、だれもが知っている一流ではない。二流という言い方をするとして、一流まで行き着けないその差と、彼らの思いはどんなものなのか。のんびりと船旅を楽しんでいながら、暇に任せてついそういうことに思いを巡らせ始めるのが、私の悪いクセだ。

ディナーのあと、ラウンジの小ステージで5人編成のフィリピンのバンドがライブをやっていたので、試しに「ラ・マラゲーニア」をリクエストしてみた。この歌は、ずいぶん昔、紅白歌合戦でアイ・ジョージが歌ったラテン音楽で、久しぶりに聞いてなつかしかった。ただ、やはり情感を込めて歌い上げるアイ・ジョージの域には及ばなかった。

この話には続きがある。私がアイ・ジョージの話をすると、娘が早速スマホで調べ始めた。彼は小柄だが彫りの深い顔立ちで、ソンブレロがよく似合い、ギターを抱えて弾き鳴らしながら、スペイン語の歌を声量たっぷりに歌っていた。私はずっとメキシコかどこかの南米系の人だと思っていたが、本名が石松譲治という日本人だった(ただし香港生まれでスペイン人の母とのハーフ)。石松の頭文字を取って芸名をアイ・ジョージにしたのだという。これが旅一番の驚きだった。

彼は現在、消息不明。ロサンゼルス在住ではとも言われている。


おまじない

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アイ・ジョージが「懐かしの昭和の名曲」にTV出演してくれますように






差別待遇

犬の飯といえば、昔はどこの家も冷や飯にみそ汁のぶっかけだった。しかし、犬に食べさせるには味が濃すぎるし、ましてみそ汁の具がネギだったりすると、さらによくなかった。そんなことにはお構いなしだったが、近ごろは犬の健康にも配慮されて、栄養バランスの取れた薄味のドックフードが当たり前になった。空調の利いた室内で飼われることもあり、犬の寿命は随分延びたように思う。

ウチのコジローとクマゴローの親子は、昼間は庭に出し、夜は室内に入れる。食事はドライフードに缶詰のウエットフードをトッピングするのが常だが、毎度同じ献立では犬も飽きるだろうと、時にはトンコマと野菜を炒めたり、冷蔵庫の奥で干からびていたハムやチーズ、消費期限がはるかに越えたインスタントラーメンを与え、腹をこわしはしないかと心配でしばしようすを見守る。これは愛犬家なのか動物虐待なのか。一番喜ぶのはパンや飯に牛乳をかけてやるときだ。

コジローはもう14歳で、食欲は旺盛だが歯が弱ってきて、ゆっくり食べる。一方その子のクマゴローはろくに噛みもせずあっという間に飲み込んでしまう。自分の器が空になると、隣りで食べているコジローの分を横取りするので、見張っていなければならない。コラッと叱るといったん引くが、食欲には勝てず、またにじり寄ってくる。たくさんやれば収まるだろうが、好きなだけやるといくらでも食い、太りすぎるのでそうもできない。

ドライフードにも各種あって、いずれも1袋700円程度だが、容量が2キロ強から3キロ弱まである。半生タイプは割高で、犬の食いつきもよい。私は老犬向きの半生タイプを買うが、犬好きでもない妻は安くて量の多い方を買ってくる。そこで、2タイプ重なった時に、コジローに半生、クマゴローに固いほうをやってみたら、効果てきめんだった。

さすがのクマゴローも固くて飲み込めず、噛み下すのに時間がかかる。おまけに大してうまくないのか、時々よそ見をし、食べ残したりする。コジローは邪魔されずゆっくり完食できる。

この差別待遇はクマゴローにちょっと気の毒だし、本人もやがてあっちがうまいものを食っていると気がつくかもしれない。コジローはもう老い先短いし、なんといっても親を押しのけて横取りするのは犬の道に外れるだろう、と諭しても、儒教の教えが犬に通じるわけもない。

クマゴローが尻尾を振って愛嬌を振りまいてくると、どうも痛し痒しの思いになる。


おまじない

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当分クマゴローに気づかれませんように





断捨離奮闘記 2

家の中は整然としていた。しかしタンスや戸棚、物入れを開けてみると、扉や引き出しの中から出てくるわ出てくるわ、隙間のないほどぎっしりと物が入っていた。戸棚の上にも天井に届くまで物が乗っている。

気に入った物があるとなんでもすぐに買いたがる父と、物を捨てないでなんでも仕舞っておく母の80年の集積を前に、私は何度も溜め息をついた。

南の家から移す物もあるから2軒分の全部は到底維持できない。まず食器。気に入ったもの、重ねて収納できて場所を取らないもの、5客揃ったものを優先して、あとは大胆に捨てる。と決心しても、母親に似たのか捨てるのが辛くなってストレスが高まる。

せめて子どもにと「ほしい物はなんでも持ってゆけ」と言っても、思ったほどはない。「遠慮するな」と焚きつけても「場所がない」と反応が薄い。金の入ったしゃれたコーヒーカップひと揃いは「チンできないしね」。マグカップの方がいいらしい。それも分かる。

残すものは割れないように1枚、1客ずつプチプチにくるんでダンボールに詰めなければならないから、手間がかかる。こんなことしていたら着工に間に合わない。見覚えのある懐かしい食器も出てくる。捨てようか残そうか情けない気持ちになる。

引き出物や記念品はたいていロクでもない。しかしお祝いか何かで貰った手前、捨てるのも気がひけて死蔵の運命になっている。バカチョンカメラもたくさん出てきた。今はスマホの時代になって使い道がない。やかんが3つ、湯沸しジャーも4つ。買い換えたのなら古いのを捨てたらよさそうなものだが、きちんと箱に入れて取ってあった。今はもっと小型でしゃれたポットがある。箱はそのままゴミ袋に放り込んだのでは、角でゴミ袋が裂けたりかさ張るので、いちいちちぎったり潰したりしなければならない。

梅干を漬けたビンがいくつも出てくる。庭の梅の木に実がなると、母が毎年漬けていた。平成8年と記してあるものもある。試しに食べてみたが、ちょっとムリ。私が中学のときに使っていたアルミの弁当箱とも再会した。

母は鎌倉彫や書道、俳句、編み物などのけいこ事をやっていたからその材料や作品も残っている。私の友人に書道を習い始めた男がおり、手芸好きの奥さんもいるので、書道の道具や雁皮紙、教本に毛糸の玉をつけて、押し付けた。

父も絵や陶芸をやった形跡があるが、長くは続かなかったようだ。ヌード写真集がちょろちょろ出てくる。昔のだから迫力がない。

1時間も片付けるとうんざりして1時間休む。また喫煙の習慣が戻った。こんな調子だから、ゴールデンウイークが明けるまでの1カ月あまりでめどをつけたかったが、6月に入ってもまだ終わらない。床屋にも歯医者にも洗車にも犬の散歩にも行けない。

ゴミ袋の山を作りながら、人間の生活はどこまでムダが多いかとつくづく思う。飽食ばかりではない。衣も住も。たまらず、ミニマリストの元祖、鴨長明の「方丈記」を読み返して、心のバランスを取り戻す。

消費を刺激しないと経済が回らないのは分かっているが、こんな世の中、いずれは行き詰まる時が来るのだろう。(おわり)


おまじない

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願わくば遺品整理は生前に