続・第1.5の人生

体力の衰えを感じて、この春から勤務時間を3割減らして、夕方帰ることにしてみた。

さて、家に戻って夜までの間、何か少しまとまったことに取り掛かろうと思うが、どうもやる気が出て来ない。くたびれて仕事を切り上げたのだから、帰宅してもくたびれているのは同じことだ。だらだらとしているうちに、退屈だから早めの晩酌を始める。なんだかこんなことじゃ意味ないなと思う。

余暇の活用と思って、英会話や料理教室通いを始めたのだか、ひまを埋めるという考えではだめらしい。若いうちならプラスアルファの変化を余力でこなせるが、活力が峠を越えると、仕事を続けながらマイナス分を埋め戻したのでは、調整したことにならない。少しずつ引き算をしながら、バランスを取って人生を送るのはとても難しい。

いずれは仕事から全く手を引く時もくるだろう。そうなるとなおさら、ひまつぶしではいつまでもしのげない。いつまでもが数年ならいい。辞世の句でも用意して静かに待てばよい。しかし思いのほか長生きして、10年、15年しても一向にお迎えが来ないとなると、長期計画を立てて進まないととても待ちきれない。それでいてできることはどんどん限られてくる。

残った時間をどう使うか。同窓のリタイア組は、長年がんばったんだからもう充分だろう、むりせず、ゆっくりと、楽しく自分のためだけに時間を使っても罰は当たらないと思い、その通りにしている人がほとんどのようだ。自らを終わった人、過去の人として受け入れている。

もうひとつ生き方がある。いくつになっても、人の世で生きる限り、社会への働きかけや役割を続けてこそ意味があるのだと。

どちらでなければと言いたいわけではない。その人がパーソナルで充実したいか、パブリックで充実感を得ようとするのかで決まることだから。ただ、パブリックの手本は、私の身近にはまずいない。たとえば、遠隔地で難しいが、広島の原爆資料館で英語のボランティア通訳がやれたらいいな、などと投げかけてみても、老人仲間は全く関心を示さない。

そんなことを考えるだけで、私は彼らにとって理解不能の変わり者に映る。私は私で、現役志向でいる以上は常に社会とのテンションを下げるわけにはゆかない。下げないから浮いてしまう。

第1.5の人生と言うのは第1でも第2でもなく、なんとも言いようがない。


おまじない

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ひまな年寄りとのおしゃべりは冗談だけにしよう