新聞変えてみたら

先月から宅配の新聞を変えてみた。以前ほど記事が面白くなく、じっくり読む気にならなくなったからだ。といって、その新聞が悪いわけではない。なにが起きて、どう書いても、政局が少しも動かず、変わり映えがしないからだ。

ジャーナリズムの真髄は、おや、まあ、へえ、にある。私は朝起きるとまず新聞受けに向かい、昔風に言うなら「耳目を驚かす」ようなできごとがドカンと載っていないかと、期待を持って朝刊を開く。

政治の不祥事なら絶え間なく起きる。主要閣僚の利益誘導、裏工作、暴言、失言、官僚の忖度、隠蔽、改ざん、そして急性記憶喪失。バレバレなのに、みんなうやむやになって、その後の居座り、栄転。新聞が噛みついても、そよ風のそよぐがごとく何事もなく通り過ぎ、どこの発展途上国の話なのかと首を傾げたくなる。

つい最近、下北道路の忖度発言で久しぶりに、お調子者の副大臣のクビがとんだが、忖度といえばモリカケはあれでおしまいかい、と我ながら懐かしく思い出す始末。空しさ募って選挙に行く気にもならず、無党派層としていかにもふがいない。これではいけないと思いつつ、ますます厚顔無恥の面々のやりたい放題になる。

そう思って見るせいか、彼らの人相の実に悪いこと。「必殺仕事人」に素顔のまま登場しても、存在感豊かにj悪役が務まりそうだ。

だから新聞には、飽きの来る憤慨一辺倒の論調でなく、もっと書きようがあるだろうと、新聞を変えてみたのだが、まあ気分は変わっても、世の中が変わるわけでもない。

勝手が変わって困ることもある。たとえば、日曜版でいつも必ず読んでいた記事がなくなってみると、それはそれで物足りない。

新しく読む新聞は、全国紙としては3番手だが、地元のブロック紙が圧倒的に強いこの地方では、シェアがわずか5%ちょっと。そうなると、販売店の配達エリアが広く薄くなり、地元密着が要件の折り込み広告がぐんと減る。折り込み広告なんてゴミになるばかりと思っていたが、ここから得る地域情報も結構使っていて、なくなるとやはり不便に感じる。

記者の筆力もときどき不足で気に入らない。日刊紙の発行部数は、この1年で222万部減って4000万部を割り込んだそうだ(スポーツ紙含む)。20年前のピーク時と比べると25%も減らしたというから、各社の経営は大変だろう。取材力や人材の厚さにも当然影響しているはずだ。

なんだかなあと思案していたら、先日、集金が来て、配達もしている人だった。たぶん80歳ぐらいだろう。愛想がよく、元気そうだ。早朝、というより深夜に起きて仕事に入るのは大変だろうが、購読者が増えれば励みにもなるのだろう。これはしばらく断れない。半年か、いや1年か。働く老人をがっかりさせるのは罪深い。

おまじない

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