信ずるものに幸いあれ 3

宗教史を概観すると、旧態に飽き足らず、突き抜けようとする改革のエネルギーと、勝手に変えようとするな、長年の伝統を守れ、という因習圧力の両方が繰り返し働いているのがわかる。

カトリックはローマ法王を頂点とする一枚岩だが、プロテスタントは日本福音同盟の教派だけでメソジスト系、バプテスト系、ルーテル系など38、独立派や単立も加えると58にも上るようだ。

仏教は、先行するバラモン教の影響を残しながらも、独自の教理で成立し、日本に伝来後は、奈良時代に華厳、三論、成実、法相、律、俱舎の南都六宗、平安時代に天台、真言、鎌倉仏教では法然、親鸞、道元、栄西、日蓮らが、次々と登場して宗派を開いた。

既成の思想体系に疑問を投げかけ、否定し、乗り越えようとする勢いは、四分五裂の道をたどった60年安保から全共闘運動に至る新左翼の動きにもどこか似ている。

現代日本の仏教には、檀家だのみ、葬式待ちの寺の側にも、寺離れ、葬式離れの檀家の側にもそんなエネルギーは残っておらず、今後は大胆な改革がない限り、衰退が加速するばかりだろう。

一方で、タイやスリランカのような信仰の篤い仏教国と比べてみて、南ルートで伝播していった上座部(小乗)仏教に対し、分裂して北ルートを進んだ大乗(大衆部=だいしゅぶ)仏教に、そもそもの深い根があるのではと思わないでもない。

上座部仏教では、出家者が覚醒して輪廻転生を断ち切るとしているから、来世でどうなるか分からない一般人の思いは真剣で、仏法僧を深く敬っている。大乗仏教では衆生を見放さないことになっているから、どうしたって楽観的になる。古代から天皇や貴族、豪族、武士、と時の権力者が庇護してきた仏教を、明治以後は檀家が支えるようになり、その檀家が輪廻転生など気にかけなくなって、葬式を待つ以外は無為無策の寺から離れ始めた。

宗教のウソを無条件で信じる人、方便としてその意図をくみ取る人、頭からバカにする人、のうち、最も幸せになれるのは最初の人だろう。

こんな讃美歌があるのを最近知った。

きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
今もその愛受けている
きみの存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう

聞いているだけで、自分が守られていると感じ、心が安らぎ、やさしい気持ちになる。宗教はそういうものだろう。理屈も証明もいらない。信じるとはそういうことだろう。私には遠すぎる道のりだが。(おわり)

おまじない

このにほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へボタンを押して
求める人には救いの手を