辞表の裏の人間模様

年に数人、社員が辞表を出してくる。「私儀、このたび一身上の都合により」と決まり文句しか書いてないが、人それぞれに裏事情がある。

近ごろ見かけるのが、認知症の親の介護。火事になりかけて目が離せない、嫁が世話をしているが夫婦仲もギクシャクしてくる、離職まではできないが、転職して非常時に駆けつけられる職住接近にしたい。そう言われると引き止めようがない。

両親がすでに他界してのひとり暮らしなら、そんな問題も起こらないが、それはそれで辞表が出る。この歳まで独身で、なんとなく働いてきたが、いまさら結婚する気もなく、親の残した遺産で食って行けるから、ムリして働かなくてもここらで見切りをつけたいと方針を決める。「辞めてどうするの」と聞くと「他にやりたいこともないけど、話し相手に犬がいるから」。人生に目標を持たないと退屈するよと言ってみても、すでに別世界に入っている。

親は元気、自分も若い、未婚でしがらみなく、目標は夢のように高く、なのに転職を繰り返す場合はなぜか。前職はミスマッチ、現職も合わない、どこかに自分にピッタリの天職があるはずだと思って、腰が落ち着かない。全身どっぷりの青い鳥症候群なのだ。

新卒者が入社してくると、私はガツンと先制攻撃をかけておく。「自分にピッタリの天職などいくら探してもどこにもない。窮屈だったりダブダブの服を具合悪いと思いながら地道に着続けているうちに、やがてその服がピッタリ合ってくる。つまり天職は自分の中に隠れている。外に探しに行って見つかるわけがない」

深く考えないで就職してきて、どう見てもミスマッチで、潜在能力が引き出せないときは、社内で配置換えをすると生き返る。見どころはあるがギョッとするほど転職歴のある人を、ハラハラしながら採用してみたら、結婚してすっかり落ち着いたケースもある。

結婚して辞める女性もいる。いまは育児休業制度も整っており、昔の寿退社とは事情が違う。他社の事例だが、学生時代の同級生同士がそれぞれ別の先に就職し結婚。妻は化学薬品メーカーの研究員で将来を期待されていたが、夫の転勤であっさり退職。優秀な人材を大事に育ててきたのにと、上席が泣かんばかりに悔しがる。

自営業の跡継ぎにと、親や親戚に呼び戻される場合もある。給料を払いながらキャリアを積ませた費用がぱあっと消える。プロ野球なら金銭トレードやバーターがあるが。

ただ、こうして理由がはっきりしているケースは少ない方で、なんだかムニャムニャ言って要領を得ず、本心を明かさないのは、ほとんど職場の同僚や上司との人間関係のこじれに起因している。顔を見るのも嫌なほどこじれてくると、毎朝同じ顔を見に出勤するのも辛かろう。こうなる前に相談してくれれば、関係修復なり職場転換なりの方法があるが、口をつぐんだまま転職先を決めた上で辞表を出すので、手が打てない。

上司対部下の不和は、権限の強い上司に責任がある。部下対部下の場合も、上司の監督不行き届きになるが、上司が常に人心収攬術に長け、人格者であるのは難しい。もっと厄介なのが、上司対上司、役員対役員で、主導権争い、権力争いに発展すると派閥ができ、組織が内部から弱ってゆく。「社長争奪」(有森隆著、さくら舎刊)にはパナソニック、ダイエー、大塚家具、三越伊勢丹など8社の壮絶な闘いが描かれている。権力の頂点に立つか、敗れて辞表を書くのか、策謀がうずまいて人格者どころでない。

人間模様は興味深いような、哀しいような。


おまじない

このにほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へボタンを押して
曲がりくねった道でも歩ける