日常と非日常

かなりあらたまった席に招かれることになり、末席ながら欠席するのも穏やかでないので、出席の旨伝えたところ、当日の服装は「モーニングコートまたは紋付き羽織袴が一般的」と通知があった。

スーツでもよさそうだが、そんなわけにもゆくまい。訃報に駆けつけた通夜で、ダークスーツならセーフといっても、周りが真っ黒な喪服で埋まっているとひどく目立つのと同じで、並みいる正装の群れの中、スーツは避けたほうが無難だ。

さすがに紋付き羽織袴の用意はないが、モーニングは持っている。以前、社内結婚をする社員に頼まれてよく仲人を務めた。

近ごろの結婚披露宴は、仲人も立てず、ドレスコードもなく、出席者は平服が主流で、格式ばらなくなった。儀式なら目に見える形で慶意を示さないと非礼だが、儀式の要素がなくなったということだろう。

冠婚葬祭、慶弔はいずれも非日常(民俗学で見る「ハレ」)で、日常(同「ケ」)とは明確な区別があったが、結婚式は「ケ」になってきた。離婚、再婚が“日常化”してきたからだろうか。

さて今回は、結婚式でなく慶事の中でも本格派なので、長年使ってなかったモーニングを奥からあわてて引っ張り出してチェックした。ウエストが少々きつく体型を調整しなければならないが、ひとまず安心――というものの、ことは上下とベストのスリーピースで終わらない。モーニング用のネクタイとワイシャツ、カフスボタン、サスペンダー、胸ポケットに飾りの白ハンカチ。白手袋はいるのかどうか。

これが家捜ししてなかなか見つからない。家の耐震工事をして移ったときに、どさくさでどこかに紛れ込んだのかもしれない。焦りながらさんざん探して、ネクタイと手袋以外はようやく見つかった。ないものは再調達。クリーニング済みだったワイシャツも、糊を効かせてもう一度。

儀式は非日常だから面倒なものだ。面倒でも型通りしないとハレにならない。よいも悪いもない。


おまじない

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儀式は、けじめをつけて気分を切り替えるもの