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                 「鳥瞰」の反意語。大空を翔る鳥の目で俯瞰するのではなく、
                 草の根を掻き分けて虫の目で地表をつぶさに観察すること




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70の手習い

2017/08/23 08:09
振り替えで夏休みを取ったので、会社の夏季休暇はずっと自宅で「管理会計の基本」(千賀秀信著、日本実業出版社刊)という本に取り組むことにした。

私はもともと数字に弱い。小学校のクラス委員で会計の係りにされたとき、ちょいちょい数字が合わずに苦労した。数字なんてものは大づかみに大体合っていればいいという主義なので、経理マンが合計額に1円でも狂いが出れば、合うまで何度でもやり直すと聞いたときは、大変なんだねと思った。金額の大小ではなく、どこかに間違いがあれば全体の信用性がなくなるということだそうで、そりゃそうだねぐらいは理解できた。

その私がこの歳で、いまさら一から財務分析の勉強をやり直すというのには、深いわけがあるのだが、それはさておき、読んでみると所々面白い話が載っている。

たとえばファーストフード店でハンバーガーとフライドポテト、コーヒーのバリューセットを注文すると、単品で合計するより安くてトクをした気持ちになる。パソコンに初期設定サービスがついていると、そりゃ手間いらずでご親切にと思う。それが管理会計で言うと「限界利益率の高い商品やサービスをセット販売することで……固定費が変化しなければ損益分岐点の売上高は下がる」ことになる。設問を解いてみるとたしかにそうなる。

ホテルのコーヒーは喫茶店と比べてバカ高いが、材料費など知れたもので、大差があるわけではない。これはホテルの豪華な設備、グレードの高い従業員の接客サービス、ブランド価値など付加価値を生み出すために減価償却費、教育訓練費、人件費などの固定費をかけて顧客満足を得る企業戦略の結果。

手洗い洗車は機械洗車の倍以上するが、その意味はまた違う。洗車の人が、洗車の間は他のサービスを行うことができないので、機会損失が生まれる。つまり手洗い洗車には機会原価なるものが乗って来るというわけ。

営業キャッシュフローを見るときに、売上債権の増加を利益から差し引くことは知っていたが、読みながら、昔見たスナックの壁の貼り紙を思い出した。「ツケにしたいはヤマヤマなれど、貸せばあなたが来なくなる」。飲み屋の強みは現金商売で、その日その日の日銭が入ること。ツケはつまり売上債権で、日銭が入らなければキャッシュフローが悪化し、下手をすれば貸し倒れになる。

この本は例を挙げながらの説明で分かりやすいが、設問を電卓片手に解いていると、だんだん頭の中が数字でいっぱいになる。パンクしそうになると、テレビをつけて「やすらぎの里」や「サワコの朝」、「ドキュメント72時間」の録画を見てひと息つく。最初のうちはそれでよいが、最終章の「戦略的意思決定に役立つ考え方」になると、かなり手ごわくなって息切れがし、(まあ、世の中そう計算どおりにはゆかないでしょう)などと自分を慰めてみたくなる。

こうした計数管理や財務分析と対極にあるのがKKD(勘、経験、度胸)で、最近は軽い扱いを受けるが、経営にはこれも必要でそうバカにしたものではない。

と言い訳しないで、よくできた本なので、座右の書にして使いこなせるようにしよう。これまで座右の書は「平家物語」と「歎異抄」だったのに。タバコが増えるわけだ。


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一流との差

2017/08/15 09:29
会社の夏休みは8月のお盆の前後だが、私は7月末に振り替えて、東京港から北海道クルーズに出かけた。留学中の娘が1年ぶりに帰ってくるのに合わせた。

船旅は今度で3回目。函館、網走、利尻、小樽に寄稿するたびに半日程度のオプショナルツアーを選べるが、あとは船内で過ごす。列車や飛行機のように荷物を下げて移動したり、ホテルを渡り歩かずにすむのでラクチンだが、乗客が飽きないように船会社もいろいろと目先を変えて暇つぶしを用意している。

インストラクターのついたストレッチや甲板ウオーキング、フィットネス、あるいはウクレレ、チェス、社交ダンスの初心者教室などのほか、ショーや音楽のライブも毎夜用意される。

こうしたライブの出演者は、中には日本人もいるがイギリス、アメリカ、ロシアなど各国からのダンサーやミュージシャン、マジシャンで、去年見た顔もある。船会社と継続的に契約しているらしい。

芸能の世界で生き抜くには実力のほかに運もいる。若いうちの勝負だし、人気も移ろいやすく、将来が保証されているわけではない。それが分かっていてこの世界に飛び込むのは、歌や踊りが好きでたまらないというよほどの思いがあるのだろう。いくらがんばっても夢叶わず、消え去る人が大半の中、プロとして認められ、比較的安定して生計が立てられるのだから、なにはともあれその道の恵まれた成功者といえるのだろう。

ただ、だれもが知っている一流ではない。二流という言い方をするとして、一流まで行き着けないその差と、彼らの思いはどんなものなのか。のんびりと船旅を楽しんでいながら、暇に任せてついそういうことに思いを巡らせ始めるのが、私の悪いクセだ。

ディナーのあと、ラウンジの小ステージで5人編成のフィリピンのバンドがライブをやっていたので、試しに「ラ・マラゲーニア」をリクエストしてみた。この歌は、ずいぶん昔、紅白歌合戦でアイ・ジョージが歌ったラテン音楽で、久しぶりに聞いてなつかしかった。ただ、やはり情感を込めて歌い上げるアイ・ジョージの域には及ばなかった。

この話には続きがある。私がアイ・ジョージの話をすると、娘が早速スマホで調べ始めた。彼は小柄だが彫りの深い顔立ちで、ソンブレロがよく似合い、ギターを抱えて弾き鳴らしながら、スペイン語の歌を声量たっぷりに歌っていた。私はずっとメキシコかどこかの南米系の人だと思っていたが、本名が石松譲治という日本人だった(ただし香港生まれでスペイン人の母とのハーフ)。石松の頭文字を取って芸名をアイ・ジョージにしたのだという。これが旅一番の驚きだった。

彼は現在、消息不明。ロサンゼルス在住ではとも言われている。


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アイ・ジョージが「懐かしの昭和の名曲」にTV出演してくれますように






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差別待遇

2017/07/13 14:19
犬の飯といえば、昔はどこの家も冷や飯にみそ汁のぶっかけだった。しかし、犬に食べさせるには味が濃すぎるし、ましてみそ汁の具がネギだったりすると、さらによくなかった。そんなことにはお構いなしだったが、近ごろは犬の健康にも配慮されて、栄養バランスの取れた薄味のドックフードが当たり前になった。空調の利いた室内で飼われることもあり、犬の寿命は随分延びたように思う。

ウチのコジローとクマゴローの親子は、昼間は庭に出し、夜は室内に入れる。食事はドライフードに缶詰のウエットフードをトッピングするのが常だが、毎度同じ献立では犬も飽きるだろうと、時にはトンコマと野菜を炒めたり、冷蔵庫の奥で干からびていたハムやチーズ、消費期限がはるかに越えたインスタントラーメンを与え、腹をこわしはしないかと心配でしばしようすを見守る。これは愛犬家なのか動物虐待なのか。一番喜ぶのはパンや飯に牛乳をかけてやるときだ。

コジローはもう14歳で、食欲は旺盛だが歯が弱ってきて、ゆっくり食べる。一方その子のクマゴローはろくに噛みもせずあっという間に飲み込んでしまう。自分の器が空になると、隣りで食べているコジローの分を横取りするので、見張っていなければならない。コラッと叱るといったん引くが、食欲には勝てず、またにじり寄ってくる。たくさんやれば収まるだろうが、好きなだけやるといくらでも食い、太りすぎるのでそうもできない。

ドライフードにも各種あって、いずれも1袋700円程度だが、容量が2キロ強から3キロ弱まである。半生タイプは割高で、犬の食いつきもよい。私は老犬向きの半生タイプを買うが、犬好きでもない妻は安くて量の多い方を買ってくる。そこで、2タイプ重なった時に、コジローに半生、クマゴローに固いほうをやってみたら、効果てきめんだった。

さすがのクマゴローも固くて飲み込めず、噛み下すのに時間がかかる。おまけに大してうまくないのか、時々よそ見をし、食べ残したりする。コジローは邪魔されずゆっくり完食できる。

この差別待遇はクマゴローにちょっと気の毒だし、本人もやがてあっちがうまいものを食っていると気がつくかもしれない。コジローはもう老い先短いし、なんといっても親を押しのけて横取りするのは犬の道に外れるだろう、と諭しても、儒教の教えが犬に通じるわけもない。

クマゴローが尻尾を振って愛嬌を振りまいてくると、どうも痛し痒しの思いになる。


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当分クマゴローに気づかれませんように





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断捨離奮闘記 2

2017/06/09 09:12
家の中は整然としていた。しかしタンスや戸棚、物入れを開けてみると、扉や引き出しの中から出てくるわ出てくるわ、隙間のないほどぎっしりと物が入っていた。戸棚の上にも天井に届くまで物が乗っている。

気に入った物があるとなんでもすぐに買いたがる父と、物を捨てないでなんでも仕舞っておく母の80年の集積を前に、私は何度も溜め息をついた。

南の家から移す物もあるから2軒分の全部は到底維持できない。まず食器。気に入ったもの、重ねて収納できて場所を取らないもの、5客揃ったものを優先して、あとは大胆に捨てる。と決心しても、母親に似たのか捨てるのが辛くなってストレスが高まる。

せめて子どもにと「ほしい物はなんでも持ってゆけ」と言っても、思ったほどはない。「遠慮するな」と焚きつけても「場所がない」と反応が薄い。金の入ったしゃれたコーヒーカップひと揃いは「チンできないしね」。マグカップの方がいいらしい。それも分かる。

残すものは割れないように1枚、1客ずつプチプチにくるんでダンボールに詰めなければならないから、手間がかかる。こんなことしていたら着工に間に合わない。見覚えのある懐かしい食器も出てくる。捨てようか残そうか情けない気持ちになる。

引き出物や記念品はたいていロクでもない。しかしお祝いか何かで貰った手前、捨てるのも気がひけて死蔵の運命になっている。バカチョンカメラもたくさん出てきた。今はスマホの時代になって使い道がない。やかんが3つ、湯沸しジャーも4つ。買い換えたのなら古いのを捨てたらよさそうなものだが、きちんと箱に入れて取ってあった。今はもっと小型でしゃれたポットがある。箱はそのままゴミ袋に放り込んだのでは、角でゴミ袋が裂けたりかさ張るので、いちいちちぎったり潰したりしなければならない。

梅干を漬けたビンがいくつも出てくる。庭の梅の木に実がなると、母が毎年漬けていた。平成8年と記してあるものもある。試しに食べてみたが、ちょっとムリ。私が中学のときに使っていたアルミの弁当箱とも再会した。

母は鎌倉彫や書道、俳句、編み物などのけいこ事をやっていたからその材料や作品も残っている。私の友人に書道を習い始めた男がおり、手芸好きの奥さんもいるので、書道の道具や雁皮紙、教本に毛糸の玉をつけて、押し付けた。

父も絵や陶芸をやった形跡があるが、長くは続かなかったようだ。ヌード写真集がちょろちょろ出てくる。昔のだから迫力がない。

1時間も片付けるとうんざりして1時間休む。また喫煙の習慣が戻った。こんな調子だから、ゴールデンウイークが明けるまでの1カ月あまりでめどをつけたかったが、6月に入ってもまだ終わらない。床屋にも歯医者にも洗車にも犬の散歩にも行けない。

ゴミ袋の山を作りながら、人間の生活はどこまでムダが多いかとつくづく思う。飽食ばかりではない。衣も住も。たまらず、ミニマリストの元祖、鴨長明の「方丈記」を読み返して、心のバランスを取り戻す。

消費を刺激しないと経済が回らないのは分かっているが、こんな世の中、いずれは行き詰まる時が来るのだろう。(おわり)


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断捨離奮闘記 1

2017/05/31 16:28
両親が暮らしていた北隣りの家が空き家になって3年半、どうしたものかあれこれ迷った挙句、南は子どもに渡し、北は自分で住むことにした。北の家は築80年、今どきの住宅に比べると居住性に劣り、老朽化している上に耐震補強も施さなければならないが、庭も含め今では復元の難しい造りで、自分が生まれ育った家でもあり、親の遺した物を目の前で潰す気にはとてもなれなかった。

できるだけ現状を残したまま、居住性と耐震性を上げてくれというのがそもそも矛盾しており、リフォーム会社とは契約が終わり、着工が迫ってもまだ決着がつかない。そのやりとりを続けながら、工事のための断捨離に取り掛かったが、これがまた大仕事になった。

私は物のあふれた生活が嫌いなので、この際、簡素ですっきり、必要最小限の物を残し、あとは捨てるのももったいないので、どこかでリユース、リサイクルしてもらえればと考えていた。そのつもりで、新聞折込のチラシに「高価買取」と謳ったあちこちの業者から選んで持ち込むと、上質の衣類が45リットルの袋に詰めて1山50円、海外旅行の折の免税品とおぼしき未開封のスコッチやブランデーが1本100円。

高価買取なんて書くなよと思ったが、まあそんなものかもしれない。それならタダでも使う人が見つかればいいからと、無料引き取りのリサイクル広場へ靴9足をダンボールに入れて運んだら、8足突き返された。善意のボランティア活動だと思ったら、なんのことはない無料で仕入れて売り物にする業者で、傷があると商品にならないと言う。「アフリカやアジアではハダシの人もたくさんいるんだよ」と捨てゼリフを吐きながら、なんで他人の商売のためにわざわざ広場に運び込ませるのかと納得がゆかない。

家具はさすがに持ち込めないので業者を呼んだら、1万2千円だの2万円だのと値が付く。買い取り代ではなく回収代としてこっちが払う代金だ。結構するんだね、と言ったら「市の粗大ゴミ回収サービスを頼むと安いですよ」と教えてくれた。

要するに、邪魔で処分に困っているんだろ、引き取ってやるよというのが、業者のスタンスらしい。限られた資源を大切にしましょうとか、エコライフなんて、誘い文句で言ってみるだけで、使い捨て時代に堂々と成り立つ商売のようだ。

軽い衣類や数の知れた洋酒や靴などの扱いはまだ序の口。両親が暮らした80年の間に溜まりに溜まった食器や本、電化製品、日用品、趣味の道具が山ほど控えている。こうなると業者なんか相手にしていられない。まず可燃ゴミの赤袋、資源ゴミの青袋を各100枚、不燃ゴミの緑袋を20枚、買い込んだ。(つづく)


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今村復興相の政治感覚

2017/04/26 16:12
今年になって東京23区と武蔵野市、三鷹市でタクシーの初乗りが1キロ強で410円になった。それまで2キロまで730円だった。高齢者が増え、ちょっと近くの病院へ郵便局へ区役所へという時も、気軽に利用しやすくしたということなのか。

タクシードライバーからすればどうなのか。こまめにつぎつぎと稼げればよいが、主要駅前で長距離客狙いの長い列に付け、やっと自分の番になったら目と鼻の先だったというのでは、当てがはずれてがっかりするだろう。乗る方も「近くですみませんが」という気になる。

客なんだからそんな気は遣わなくていいんだと思う人もいる。メーターが大して上がっていないのに、小銭を数えるのが面倒で1万円札を出し「釣り」と言う人もいる。こういう客が続くと、タクシーは持ち合わせの釣り銭が底をつき、「細かいのありませんかね」なんて泣きつかねばならない。

コンビ二なんかでは逆に、レジで後ろの客が列を作っているのに、何百何十何円の小銭をもたもたと数えて手間取る人がいる。店員がレジを打っているうちに、財布に小銭がいくらあるか見て置けよと思うのは、性格がせっかちな人なのか。

せっかちな人はエスカレーターに乗ったときも、立ち止まらずにどんどん歩く。立ち止まるのが左の列、歩くのが右の列と暗黙のルールがある。ただしそれは関東、中部のルールで、関西では左右の列が逆になる。

どちらにせよなかなか合理的なルールだと思うが、最近は危険防止のためエスカレーターでは歩かないようにと呼びかけている。新ルールができてから歩く人はめっきり減ったが、立つのが依然として従来のルールのまま片側だけなので、2人並んで立てる幅の半分しか使われない。混んでいても残り半分は乗り口から降り口まで素通しになる。

だから今でも急ぐ人は空いた方を昇り降りできる。そういう人がいると思って、立ち止まる人は自分が道を塞ぐ羽目になるのがいやで気が引けるのだろう。

人は多かれ少なかれ他人に気配り、気遣いをしながら生活しているが、それが仕事のはずの復興相や復興政務官が無神経な発言を繰り返し、自分のクビが飛ぶまで気がつかないというのは、どう理解したらよいものか。

今回、今村復興相が、原発事故の自主避難者が帰郷できないのは「本人の責任」と発言の上、質問した記者にブチ切れたのに続いて、被災地が「東北でよかった」と言い放って辞任した半年前には、務台復興政務官が岩手の台風被害の視察で長靴を用意せず、おんぶされて水たまりを渡って批判された後に「長靴業界が儲かった」発言で辞任した。

ふたりがそれぞれ1度で懲りなかったのは、メディアに叩かれたのも勲章のうち、ちっとも堪(こた)えていません、むしろ全国で有名になったぐらいの強がりや照れ隠しもあって、わざわざ自分から2度目の発言をしたのだろう。

なぜそんな気持ちになれるのか。彼らにとっての関心事は大臣や政務官の“栄誉”ある経歴であって、復興担当であろうがなかろうが、なんでもよかったのだ。被災地に向き合い、過酷な状況に寄り添う気持ちなど端(はな)からない。就任時には、これでハクが付いた、次の選挙も楽になると、ほくそ笑んだことだろう。

失言ではない。心の底ならそう思って口にしたのだ。卑しい政治家が増えた。


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ムリがある

2017/04/10 14:47
そういう呼び方をするのはおかしいな、とずっと以前から思っていた。「料理研究家」という肩書きだ。

テレビの料理番組に出てきて、「わけぎとなんとかの白和え」だとか「ミラノ風なんとかのなんとか添え」なんていうのを、段取りよくテキパキと、それでいて丁寧に教えてくれる人たちのことだ。

料理というのはたまに作るのは結構楽しいが、毎日となると面倒なものだ。1日3食なんてほんとに必要なのか、と思いながら、食べるという側に立てば楽しみのひとつなので2食に減らせない。近ごろはできあいのものがどこでも手に入るが、そうやって手を抜くと、食事の楽しさが失われて、空腹を満たすだけの味気ないものになる。

同じものを続けて食べるのもすぐに飽きる。あー、まったく、どうすりゃいいんだ、晩ご飯の献立が頭に浮かばない、という時、一度も会ったこともないのに助けてくれるのがこの人たちだ。

しかしそれなら、献立指導員、柔らかく言うならメニューアドバイザーかレシピインストラクターぐらいが適当で、料理研究家なんて仰々しい言い方はだれが始めたんだろうと思うのだ。

料理の研究家というものがあるとするならば、そもそも料理学という学問が成り立っていなければならない。研究テーマは、「古代エジプトの王がモロヘイアの原種を食したかどうかに関する実証的考察」「料理における味覚、視覚、嗅覚、聴覚の相関性――ウラル・アルタイ語族とインド・ヨーロッパ語族に見る相違点」「外部環境の変化が与える食の嗜好性への影響」といったようなもの。

料理はその日その場の生活ですぐに使われ、すぐに役に立つ徹頭徹尾実用のもので、研究家が何年もかけて労作をモノにし、学会で発表するようなものとは対極にある。この粗雑な言葉の使い方に、だれも違和感を持たないのかと思っていたら、いた。

平野レミは自分を「料理愛好家」と呼んでいる。


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稀勢の里の「見えない力」

2017/03/28 08:41
サッカーや野球で決戦の大舞台というとき、詰め掛けたファンがテレビカメラの前で興奮気味に叫ぶ。「絶対勝ちます」「優勝します」

よくある情景だが、勝ちます、優勝しますって安請け合いするけど、お前がやるんかい、と性格が素直でない私は画面を見ながらいつも思う。

しかし、今度の稀勢の里の場合は、まさか2度勝って逆転優勝するとは、たいていの人が思わなかったのではないか。快進撃で12連勝した13日目、日馬富士の勢い一気の攻めに土俵下に転落して痛手を負い、苦痛で顔をゆがめたまましばらく動けなかったときは、翌日休場と思われた。

14日目、左肩から腕にかけてテープをぐるぐる巻きにして出場はしたものの、力なく鶴竜に押し出された。出るだけでも出なければと思ったのだろうか。それはファンのためなのか、自分で諦めきれないためなのか。私はこのとき初代若乃花の休場を思い出した。

若乃花は横綱を目前にした1957年の場所前、とてもかわいがっていた4歳の長男を事故で亡くした。ちゃんこ鍋を引っくり返して大やけどを負ったという。場所が始まると若乃花は愛児の名前を刻んだ数珠を持って場所入りし、鬼のような集中力を見せて12日目まで無敵の強さを見せつけた

ところが翌日、扁桃腺炎を発症し高熱に侵された。出場か休場か、相撲中継のラジオは気をもみながら何度もその話をした。本人がぎりぎりまで休場と言わなかったのだろう。結局若乃花は休場し、横綱昇進と優勝を逃した。

千秋楽、左腕が使えない稀勢の里の相手は、1差で先行する好調照ノ富士。本割りでもとても勝てないのに、2度続けて勝てるわけがない。まあ、出て負ければ自分なりに納得がいくだろう、怪我をひどくしないよう気をつけて、ぐらいにみんなが思ったのではないか。

この日、両親が観戦に来ていたがどんなつもりだったのだろう。苦労してここまで来たわが子が、なすところなく負けるのは見たくなかろうに。いや、負けても構わない、勝ち負けを超えて見守るのが親なんだ、と示したかったのか。まさか予約しておいた切符がもったいないと思ったのではないだろう。

本割で勝ったとき、オヤと思った。結構左が使えている。昨日よりはよさそうだ。プロレスラー並みの回復力なのか。それに執念で勝つ気になっている。でもなあ、いくらなんでも2度連続の奇跡はなあ、と思ったらその奇跡が起こった。スポーツにはこんなことが実際に起きる。稀勢の里はあとで「見えない力を感じた」とインタビューに答えている。見えない力とはなにか。

あえて分析するのも野暮だが、相手の照ノ富士にとって土俵は完全にアウェーだった。一方は19年ぶりの日本人新横綱、他方はその間、国技を独占してきたモンゴル勢の新勢力。しかも前日には立会いに変化して勝ちをせしめ、非難を浴びた。琴奨菊の大関復帰の望みを断ち切ったのだからなおさらだ。

手負いの横綱に非情の悪役が襲い掛かる、そんな雰囲気だったから、稀勢の里が勝ったときの場内はかつてないほどの異常な歓声に包まれた。

照ノ富士にも言い分はある。彼も大怪我を押して土俵を務め、しばらくは不本意な成績が続いていた。今場所だいぶ調子を戻したが、足の古傷はまだ治ってはいない。それに日本人はモンゴル勢の躍進が内心気に入らないだろうが、最近まで相撲人気を支えてきたのはモンゴル勢のおかげじゃないか。

ことほどさようにアウェーは厳しい。サッカーのアジア予選で日本がUAEを破った快挙もあるが、WBCで日本が全勝しアメリカへ行ってコロリと負けたのは、ホームとアウェーの違いを否定できない。

ま、照ノ富士には腐らずに、イスラム系難民が受ける迫害ほどではないと気を取り直してほしい。


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耐震工事が始まる

2017/03/19 16:06
年度末はなにかと忙しい。決算見込みをつけ、景況を見ながら新年度の方針と予算を立てる。そして新年度式を迎えて発表する。

これが終わるとひと息つくところだが、今年はそうもいかない。自宅の耐震工事を始める。

この家は1936年の完成で、築81年のしろもの。私はこの家で生まれたが、大学進学を機に東京に移り、30年ほどして戻ってきた。このときは両親がこの家で暮らし、私は南側の空き地に家を建て、妻や子供と住んだ。

父が19年前に、母が3年半前に亡くなり、旧宅が空き家になった。人が住まねば傷みが進むし、防犯上も好ましくないので土地活用にいろいろ頭を巡らせたが、名案にたどり着かない。古民家風で庭も楽しめるよさを生かして料理屋に貸すのもよさそうだが、駐車場がない。昭和初期の家に駐車場は必要なかった。

取り壊して賃貸用住宅に建て替えることも考えたが、人口減少が進む中、すでに過剰供給になっているマンションをいまさら建てても、採算が合わないだろう。老人ホームならどうかと思ったが、これもすでに過当競争が始まっている。それに北側だけではスペースが足りない。南北全部だと私の住む家がなくなる。

経済性、合理性、将来性、いろいろ考えた末に決め手になったのは意外にも郷愁だった。家族5人で暮らしたあの家や庭には私の思い出が宿っている。その両親や兄姉はみんな亡くなって、今はもうだれもいない。

旧宅は使い勝手も悪く、住み心地から言えば今の家にいる方がずっとよい。それでも旧宅を自分の手で潰すのはどうにも忍びない。両親の遺した家でもある。

同郷だとか同窓だとか過去を重んじる人は多いが、私は過ぎ去ったことにはこだわりが少ない方だ。旅行にカメラ持参で行くこともない。あとで写真を見ながら思い出に浸ろうかという根性が未練がましいと思う。しかし生家は別だ。

耐震診断をし、屋根を軽くし、壁で補強して評点を上げ、ついでに老朽化したところを修理し、居住性を上げ、欲を言えばキリがないからこのあたりで、とリフォーム会社と打ち合わせた。耐震はどこまでならば絶対安心というわけでも、絶対倒壊するわけでもない。評点は目安に過ぎない。災害には運の方がものをいう。

工事の日程が決まったら、家財の整理をしなければならない。あっちの家もこっちの家も、無用の長物がたまっている。力仕事が苦手な私にはこれが今からストレスになっているが、思い切った断捨離をするよい機会となる。あまり殺風景になっても潤いをなくすが、老境に入ったら質素で慎ましく、すっきりシンプルライフが好ましい。

南の家は、すったもんだの挙句、息子が来ることで落着した。残る問題はあとひとつ。せっかく費用をかけて直すのだから、5年や10年で死んだのではもったいない。かといってそれ以上はくたびれる。重度の介護が必要になったら安楽死をしたい、とかねがね思っているぐらいだ。

まあもうちょっと妥協しても平均余命の15年が限度。そのあとはどうするのか、どうなるのか、死んだあとのことまで知らんがな。


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堂々たるウソ

2017/03/06 17:56
事の真相や実態はほとんどバレバレなのに、言葉を操って右に左にかわし、ずるずる長引いてはっきりしない――そんなことばかりが続く。豊洲市場の土壌汚染、南スーダンの戦闘、共謀罪の範囲、森友学園の国有地払い下げ、総理夫人の公的活動。

まあ政治の世界では今に始まったことではないが、忘れた頃に起きる苦し紛れの一策ではなく、近ごろのように面の皮厚く日常的に繰り返されると、この国は、物は言い様でなんでもあり、一体どこまで行ってしまうのかと先が思いやられる。

いやいや次のステージはすでに他国であからさまになっている。

こうなるはずではなかったのに、イギリスがEUを離脱し、まさかのトランプがアメリカの大統領になった。事実に反するウソやハッタリでも、個人感情に訴えるものの方が、事実に勝って世論形成に強い影響を与える。これをポスト・トゥルースと名づけ、オックスフォード英語辞典が「2016年を象徴する言葉」に選んだ。トランプは就任後もこの手をやめようとしない。

事実でないことを「もうひとつの事実」として押し切るオルタナティブ・ファクトも流行語になり、稲田防衛相が戦闘を衝突にすり替えて、早速利用した。

さて、さらにその先はどうなるか。第3ステージともなると、大衆総動員の北朝鮮か、かつてのヒトラー、スターリン、ポルポトか。

ポピュリズムは「大衆迎合主義」と訳すのではなく、「大衆誘導主義」と呼んだ方が的確ではないか。掴みどころのないあいまいなウソから、勇ましく心地よいウソに発展し、逆らう者は黙らせ、やがて総動員へ持ち込む。

国民はそこまでバカではないと思わぬ方がよい。ナチスは当時世界で最も民主的なワイマール憲法の下で、巧みに政権を取った。

この国の現状は自民1強、いや安倍1強で、党内で逆らうものなく、連立与党の公明党は政権に恋々として党是のはずの平和主義がグズグズ、野党の民進党は対立軸を作りたいものの、電力労組を抱えた連合が怖くて党内まとまらず、脱原発の期限も示せない。権力が集中すると、周辺は敏感に反応して保身一色になる。

そして重点注意が、神社本庁や過去に生長の家で育ったメンバーらを中心に活動する日本会議。メディア、特にテレビではなぜか表立って取り上げないが、安倍政権とぴったり呼応して、戦前の神国日本への回帰を求め、全国に着々と根を広げている。神話上の人物で実在しない神武天皇が、再び万世一系の天皇の祖として蘇るのか。

壮大な虚構に基づく国家総動員、そして日本にもポスト・トゥルースが勝利する日が来るのか。


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キレやすいのは老人だけか

2017/02/20 16:00
2016年版「犯罪白書」によると、65歳以上の犯罪は20年前に比べて殺人は2.5倍、強盗は8倍、傷害は9倍、暴行に至っては49倍の3808件にも上っているという。駅の係員や乗務員に対する暴力や、病院での医師、看護婦らへの暴言、暴力、セクハラ調査でも、同様な傾向が出ている。

ヤフーニュースは精神科医やアンガーマネジメントの専門家への取材に基づき、その要因をいくつか伝えている。第1に、老化に伴って脳の前頭葉が萎縮して機能が低下すると、感情を制御できなくなったり、判断力が衰えたりする。第2に、高齢になる人との関わりが薄れてくると、寂しさ、苦しさ、不安など鬱屈した気持ちが怒りを生みやすい。また、団塊の世代が会社人間から解放され社会的なタガが外れたのではとか、認知症による行動も指摘している。

何年か前に「暴走老人」という本が出版され、私も読んだ。内容はとんと覚えていないが、その後この傾向は鎮まるどころかより強まっているようだ。もともと少子高齢化がベースだから、なんであれ老人問題の全体に対する割合が増えるのは当然だが、自然増というような増え方ではない。若いころはバリバリで厳しかった人も、歳を取ると丸くなって穏やかになる、というのが従来のイメージだった。好々爺なんて言葉もあった。

ニュースの伝えるところももっともだが、私にはIT社会の出現で、老人が急激な新ルールへの変更についてゆけなくなったとともに、旧来ルールが通用しなくなったことにも大きな要因があるように思う。

ITは、世の中に劇的な利便性をもたらした。イギリスの産業革命にも比肩する大変革といってもよい。ところが一方で、あまりに膨大な情報を処理できるので、ひとたび漏洩、流出したら大変なことになる。そのリスクを回避するため当然、二重,三重のセキュリティがかけられる。人と人との対話の間に幾重にもシステム操作が介在し、機械に命令されてようやく人間にたどり着いたら、マニュアル通りにしか反応しない機械のような人間が出てきて、情報開示を拒否された経験は、本コラム1月13日付けの「どこがサービス業か」で書いた。相手に便利でもこっちにはろくでもないという話も昨年9月12日の「だれのための利便性か」で載せた。

社会が変貌するのは今に始まったことではない。魚屋や八百屋の対面販売がスーパーに変わり、レジの無人化も始まっている。「奥さん、安いよ、安いよ、買ってって」の掛け声がなくなり、客は人畜無害のBGMを背に無言で品選びと精算を済ます。もっと昔は納豆やシジミ、風鈴の行商が、独特の節回しで路地を売り歩いたのに、風情がなくなったねと嘆く声もあった。それはムリだ、今は路地もないし、アルミサッシの密閉窓で売り子の声も届かない。

ことが情緒の問題なら、懐かしむだけですむ。また、ITに不慣れな老人特有の問題なら、世代交代とともに解消する。しかし私にはもっと深刻な事態が暗示されているように思う。

IT化が進めば進むほど、人間関係は希薄になる。生まれたときからITに囲まれた世代は、それに戸惑うことはなくても、初めから人とのコミュニケーションが少ない環境に置かれる。人間関係がない社会は、そもそも社会と言えるのかどうか。精神科医が指摘するように、孤立がやがて怒りを呼び起こすのなら、これは当面の老人特有の問題ではなく、これから到来する社会の予兆ではないか。


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強弁には強弁を

2017/02/02 07:51
トランプが無理難題を連発して、世界中を振り回している。言いたい放題、やりたい放題は3歳のわがまま駄々っ子にも似て、マンガチックでさえある。だが、超大国の大統領の言動となれば、笑ってもいられない。

当選したときは、選挙中のパフォーマンスがどこまで本気なのかと、各国の政府も企業もトランプの出方をしばし静観していた。しかし就任するや本気も本気、公約実行に猪突猛進し始めて、これじゃあまるで××に刃物だ。××というのは言いすぎだが、刃物と言うほどなまやさしいものでもない。

いまさらおさらいするまでもないが、TPPの永久離脱に始まり、メキシコとの国境に壁を建設してメキシコに負担させる、グアンタナモの水責め拷問を復活させると発言。中東とアフリカの7カ国からの入国拒否は大混乱を引き起こしており、エルサレムにアメリカ大使館を移転すれば、間違いなく泥沼の大戦争が始まる。

なりゆきを見守っていた各国も、さすがに見かねてドイツ、フランス、カナダ、イタリアなどの首脳や、米国内の司法省、国務省、国防省、フォードやGEなどの企業からも、批判や異論が出始めた。だがトランプに少しもへこむ気配はない。

日本を標的にしては、駐留米軍費用の100%負担を要求、いやなら駐留軍を引き揚げる、自動車メーカーには米国内生産増、雇用増だ、いやなら輸入車の関税引き上げだ、そして為替操作のナンクセ。

米国内外でトランプ批判が広がる中、国内ではあれほど多弁で強権的な安倍首相が、打って変わっておとなしい。日米同盟の重要性を確認し、などと相変わらず同じことを言っている。このへっぴり腰では10日に予定された首脳会談は心もとない。

ディール、取り引きというより強面(こわもて)の駆け引きが相手の得意技なら、こっちもその手でがんばったらどうか。

日本が負担している在日米軍経費は、思いやり予算の1848億円だけではない。基地周辺対策費・施設の借料、SACO関係費、米軍再編関係費、提供栃の賃料、基地交付金も合計して年間6700億円を超える。思いやり予算を始めた1978年は62億円だった。

当初に戻せとは言わないが、せめて他の同盟国の中でも高いドイツ並みに1700億円程度で駆け引きし、気に入らなければ米軍を引き揚げてもらえばよい。普天間も辺野古もオスプレイも地位協定も集団的自衛権の巻き添えもすっきり解決する。6700億円は専守防衛の軍備に回し、スイスのように自分の国は自分で守る。いつまでもアメリカ頼みでは、へっぴり腰で言いたいことも言えない。

1985年に30万台だった日本車の米国生産数は、今や385万台、関連産業の雇用者数は150万人に上るという。これをこっちが引き揚げれば同じ数の失業者が生まれるよと、彼の奇妙な髪型をちょんちょんとつついてみる。彼が右手の親指と人差し指で丸を作りながら演説するのは、おカネ、おカネと言いたいからなのか。それならアベノミクスが失敗しちゃったこっちも、左手で丸を作ってアピールする。

ことはそう簡単ではなかろうが、メキシコのペニャニエト大統領のように、いざとなったら会談を蹴るぐらいの気持ちを持たなければ、とても互角には戦えない。北方領土問題のときも、プーチンペースでいいようにされて終わったし、今度もやっぱりムリだろうな。


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毎日、交通事故

2017/01/24 09:12
稀勢の里の初優勝が、大相撲初場所の話題を独占している。新入幕から13年目は史上2番目の遅さ、新大関から6年目は昭和になってから最も長く、腐らずによくがんばったねという以上に、日本出身力士として横綱になるのが、3代目若乃花以来19年ぶりというのだから、ヘエ、そうだったのと驚くような話だ。

相撲は織田信長も観戦した日本の国技だ、伝統ある神事でさえあると言いながら、朝青龍以後はずっとモンゴル勢に圧倒され続けて来た。主役が白鵬に代わってからも、あとに続くのは日馬富士、鶴竜で、この5年に限っても30場所中モンゴル勢が27回優勝している。

今回の異変、いや快挙に溜飲を下げた人には、どこかトランプ新大統領に喝采する白人の低所得者層と相通じる心情があるかもしれない。とりわけ朝青龍はしばしば問題を起こし、横綱としての品格を問われた。非難の気持ちは分かるが、勝てばいいんだろうの出稼ぎに来て、荒稼ぎして帰る人に最高級の品位を求める方がムリだった。

そうした排外的な気持ちからではなく、稀勢の里の努力には素直に讃辞を送りたいが、気になるのは力士に怪我が付き物で、万全の全力対決にならないことだ。この場所、鶴竜、日馬富士、豪栄道、栃ノ心は休場で対戦なく、照ノ富士、琴奨菊も怪我を抱えて実力発揮にはほど遠かった。期待の高い遠藤、逸ノ城は、このところ回復してきたが一時は怪我で番付を落とし、低迷していた。照ノ富士、逸ノ城に怪我がなければ、日馬富士、鶴竜の次はこの2人が一気に駆け上がり、モンゴル勢の牙城はさらに厚くなると見られていた。

大相撲の取り口は時代とともにずいぶん変わった。古い話で恐縮だが、鏡里、吉葉山のころはがっぷり四つに組んでの力比べが館内を沸かせた。栃錦、初代若乃花の栃若時代になると土俵を動き回るスピードが勝負を決め、曙、武蔵丸、小錦のハワイ勢の登場で大型力士が有利になった。

同じ格闘技でも、レスリングやボクシングなどとは違い、相撲は立会いの一瞬が大きくものを言う。体重が150キロ、180キロの力士がスピードをつけて激突すればどうなるか。「毎日、交通事故を起こしているようなものですよ」と貴乃花親方が話すのを聞いたことがある。足をひねって転んだところに重い体重が折り重なれば、重傷も招く。

怪我をしないのも技量、実力の内で、白鵬がそれを証明しているが、なにかよい方法はないものか。どこにもテーピングのないきれいな力士たちの取り組みを見たい。


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どこがサービス業だ

2017/01/13 12:45
カード会社から娘宛に電話が入った。アメリカにいて留守だと伝えると帰国の予定を聞かれた。学校が夏休みになるまで帰ってこない。連絡を取りたいようだが、娘のスマホは国際電話に使えない。ラインなら無料なので、アメリカ国内限定の通話契約にして料金を割安に抑えたらしい。

用件を聞いたが「ご本人でなければお話できません」と言う。相手が困っているようなので気を回したつもりなのに、木で鼻をくくったような返事にちょっとムッとした。さらに、「郵便にしたらどうです。住所なら分かりますよ」と言ったら、「そういう方法は行なっておりません」ときた。

だってそっちに用があるから電話してきたんだろう。なんだその言い方は、と思ったから「じゃあやりようがないね」と突き放してやった。そばにいた妻が「穏やかに、穏やかに」と余計な指図をする。

相手は「なにか方法を考えます」と言って電話を切ったが、ほどなく振込用紙つきの督促状が来た。日本を出る前に買ったパソコンの割賦料金が引き落とせないらしい。そういえば渡米後、道で財布を落としてクレジットカードを紛失したので引き落とし停止にし、再発行の手続きをしていると言っていた。

いろいろイレギュラーなことが重なったからややこしくなったが、そういうことも時にはある。それを決まり通り、マニュアル通りの対応しかしないなら、取り立てを諦めろ、アホウめと思いながら請求額を見たら、再請求手数料、催告費用、遅延損害金がしっかり加算されている。

割賦返済は今後も続く。こんな面倒なことを毎月やっていられないので、残債を一括返済した。ところがあとでチェックしてみると、残債に支払い済みの遅延月の分が含まれていて、二重払いになっている。

そこでコールセンターに電話をかけると「音声案内に従ってご用件の番号をお選びください」。これを何回もやらせてなかなか係りにたどり着かない。ようやくつながるかと思ったら「ただいま大変込み合っています。そのままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直しください」。

かけ直しても同じなので辛抱強く待っていると、やっとナマの人間が出てきた。用件を話すと「恐れ入りますが窓口が違いますので、これから申し上げる番号にお願いします」。

血圧がどんどん高くなるのをなだめながら、また1からかけ直し、また1から説明する。すると「こちらでは入金状況が分かりませんので、あす係りの者から連絡させます」。「午前なの、午後なの」「お時間はなんとも。営業時間は9時半から5時半になっております」

翌日電話がかかっては来たが、またしても「ご本人以外はご説明できません」。ばかやろう、清算したのは私だし、過払いも明白だ。

言葉遣いだけはバカ丁寧だが、できるだけ人件費を削って手間を省き、その手間を客にかけさせ、利益を増やす。取り立ては抜かりないが、お客本位のイレギュラー対応は、余計なコストがかかるから極力しない。金融業とはいえ、わが身大事の異常で過剰で硬直したガード。こういう横着な業界をサービス業と呼んでよいものだろうか。

あー、くたびれた。ほんと、むかつく。



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そうだったのか

2017/01/06 09:33
年末年始は、BS放送でマーロン・ブランドの「ゴッドファーザー」、オードリー・ヘプバーンの「戦争と平和」、勝新太郎の「悪名」を録画して見ることにした。

「ゴッドファーザー」は、1972年の封切りのとき、ニューヨークにいたので友だちと映画館で見ている。字幕が出ないから、本当のところどこまでストーリーを理解できたのか怪しいものだった。

マフィアのボスのブランドが、ニューヨークで別のマフィアとの抗争で撃たれた後、シシリーの丘をアル・パチーノが歩くシーンが出て来たときだ。一緒に見ていた友人が「あれ、死んだんじゃなかったの」と私にささやいたので、私は「若いころの回想シーンじゃないの」といい加減な返事をした。しかし、パチーノはブランドの息子の役で、いくら回想シーンでも、若いころのおやじの役と二役やるなんて、ちょっとありえないキャスティングだろう。友人はさして疑問も持たず「ああ、そうなの」とうなづいたが。

アメリカ人の友だちとその映画の話になって「なんだかよく分からないところもあった」と言ったら「ブランドは発声が不鮮明で、アメリカ人でも聞き取りにくいんだよ」と慰めてくれた。ふうん、日本で言えば大河内伝次郎みたいなものか、とそのとき思った。

40数年経ち、今回字幕入りで見て長年の疑問が解けた。ブランドは何発も撃たれたが、奇跡的に命を取りとめ、仇討ちをしたパチーノが報復を怖れてシシリーに身を隠したというのが正解だった。話はもっと単純でないと困る。

ひとくちに英語といっても難易度はいろいろで、入国審査やホテルのチェックイン、レストランでのオーダーは、聞かれることがワンパターンなので一番簡単。次が世間話。時に聞き取れないことがあっても「あ、そう」といい加減にあいづちを打って大ごとになることはない。仕事の打ち合わせは難しそうに見えるが、議題のベースや話の背景が分かっているのでまあいける。業界の専門用語を使うが、逆に専門用語を知っていれば豊富なボキャブラリーが要求されるわけではない。

それからすると、映画やテレビなどは、ナマの声と違って難しくなる。一番難しいのはファーストフードのドライブスルーだという人がいた。マイクやスピーカーが安物で感度が落ちるせいなのか。

そういう理由でなく、いやいや、コメディアンのジョークが一番だ、という人もいる。あればその国の文化的な背景に素養がないとなぜジョークになるのか分からない、というのだ。

理屈を言い出すときりがないが、外国へ行って映画を見るなら、正義の味方と悪役がはっきり分かれたアクションものにしておくのが無難だ。最近はアクションものも、そういう単純なストーリーではなくなり、最後に善悪入れ替わるどんでん返しが仕込まれていて、アレレ、アレレ、ナンダと思っているうちに終わってしまうから始末が悪い。



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年末年始の迎え方

2016/12/30 15:26
年末年始は7連休だが、どこへ行っても混雑するから出かける予定はない。といって、家でぐうたらしていてもすぐ飽きる。ほかに行くところもないので会社に出る。

来年度に向けて仕事はしこたま用意してあるから困らない。別に勤勉なわけではない。退屈しのぎにしているだけ。

会社に来ると妙に気分が落ち着く。それに、みんなが休んでいるときに仕事をすると、なんだか充実感が満ちてくる。自分でもヘンなやつだと思う。

大晦日と元日、2日ぐらいはのんびりして、朝から酒を飲んだり昼寝したりするが、今回は大阪の長男一家が全員で風邪を引き、シカゴの娘は日本から男友達を呼んで楽しいクリスマスだから、どちらも帰って来ない。孫がちょろちょろしないのは静かで幸いだが、そうは言ってもいささか拍子抜けする。

休み中いつも1回は下手なゴルフに出かけたものだが、今回はそれもない。友人を誘ってもひざが痛い、腰が痛い、肩が痛い、とはかばかしい反応もなく、メンバーを揃えるのに苦労する。寒いのにむりをすることもないなと、方針を変えた。

休みの間に働いた分、みんなが仕事を始めたころの3連休を「初春クルーズ 三保の松原と富士」に出かけることになっている。みんなとちょっとずらして遊ぶのが、また格別に楽しい。

このクルーズは、12月に社長職を降りた友人の暇つぶしに付き合って組んだ。退職金を取って閑職に就いたら、会社に来てうろうろしていると税務署ににらまれる、と税理士に念を押されたらしい。

役を降りていよいよ気楽な身、と退任の日が待ち遠しかった彼だが、何十年も毎日通って来た会社に、もう気安く行くなと言われると、これからどうしたらよいのだろう、と怖くさえなったようだ。

仕事、仕事でうんざりし、解放されて晴れ晴れし、でも行き場を失って愕然とする。人間は勝手なものだ。とはいえ他人ごとではない。



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置かれた場所で咲きましょう





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もうすぐお正月

2016/12/25 09:36
11月半ばぐらいから年末に向かって、喪中はがきが相次いで届くようになる。たいていは親の逝去を知らせるものだが、中には妻や夫の場合もあり、兄嫁、姉、弟と1年で3人亡くした人もいる。

友人、知人が身内を亡くしたのだから、遺された彼らの気持ちの重さがどんなものか、ちょっと思いがよぎる。しかし亡くなった本人とは全く面識がない場合がほとんどなのに、わざわざ送ってくるあの喪中はがきは、どういうものとして受け取ればよいのか。

相手方としては、不幸があったので年頭の挨拶を欠礼するとのお知らせで、同時に、こうして知らせた以上、謹賀新年などと空気の読めないことを書いてくるなよ、という言外の圧力をかけている。

それが世の中のしきたり、きまりと言ってしまえばそれまでだが、せっかく新年が来て、気持ちを切り換えるよい機会なのに、年をまたいでまだ引きずるのかい、と思わないでもない。

こちらにしたって、直接の知人が亡くなって、その家族に「あけおめ、ことよろ」などと書いたらよけいなお世話だが、知人が遺った側なら納骨を終える頃にはすっかり日常生活に戻っている。こういうときこそ「昨年は大変でしたね。ことしはよい年になりますように」と慰労や励ましの言葉が生きてくるというものだ。

そもそも人の死を忌むもの、縁起でもないもの、ひっそりとしてなるべく触れないで置くもの、という考え方がおかしい。死はごく自然な人間の営みのひとつにすぎないのに、ことさらに理屈をつけて特別扱いするのは、宗教が生まれた当初のみずみずしい本来の姿を見失い、やがて人間の心の弱さや怖れにつけ込めることに商機を見つけたやつらが、もったいをつけてインチキのし放題を始めてからのことだ。何世紀もの間巡り巡って現代に行き着いた宗教には、船底にびっしりとついた藤壷のように、いまさらどうにもならないポピュリズムが何重にも張り付いて、社会儀礼化している。

よかったことも、悪かったことも、楽しかったことも、哀しかったことも、腹の立ったことも、いろいろあって一年が終わってゆく。すんだことはすんだこと。気持ちを切り換えてまた1年。

毎年同じ。いいことはかりでもなかろうが、欲張らなければいいこともあるかもしれない。ろくな目に合わなかった人ほど、ささいな幸せでもしみじみとうれしい。



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欲捨てれば楽来たる





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冗舌か沈黙か

2016/12/14 17:25
12月になると酒を飲む機会が増える。忘年会だ、懇親会だ、なんだのかんだのと、要するに酒が飲めれば理由なんかなんでもよい。

同窓の顔ぶれなど気の張らない会でも、最初は幹事の挨拶があって、まず型通りの乾杯。ぼちぼち飲み出してしばらくは気分よく、陽気になり口数も多くなる。だんだんアルコールの血中濃度が増えてゆくと、ほろ酔いから酩酊の段階に移る。同じ話を繰り返してみたり、呂律が怪しくなる。さらに進んで泥酔ともなれば千鳥足、天井が回る、記憶がなくなる。「酒飲みは奴豆腐にさも似たり。初め四角であとはぐずぐず、なんて申しましてな」と、寄席で円生が話していた通りになる。

しかし天井が回ったり、記憶がなくなったりするのは、友人数人で勢いに任せて飲んでいた若いころの話で、さすがにその後は正気を保てる酒量の限度も自分で量れるようになり、KO負けすることもそんな場面を見ることもなくなる。

むしろ最近気がついたのは、にぎやかな宴会の席で、口数少なく大人しく、ほぼ四角のまま全然変身しないやつがいることだ。酒に強いとか、飲めないとかいうのではない。人並みに飲んでいる。私のようにしらふの時からおしゃべりで、飲むと輪をかけて冗舌になり、周りにはうるさがられるわ、自分でもしゃべり疲れるわ、という者には、どうにも理解できない。飲む意味もない、お茶でも飲んどけと思う。

生来無口なのか、口下手なのか、聞き手に回るのが好きなのか。いや特にそういうわけでもない。1対1や少人数の時なら普通にやりとりして違和感はない。

人数が10人近くになってくると大人しくなるってことは、みんなを相手に目立ちたくない、余計なことは言わないほうが無難だという警戒心が働くのか。いやいや、ついガードが甘くなってしまうのが酒のよさでもあり、しょうのないところではないか。

ははあ、するとこれは、過去に大失敗をして懲りたのではないか、という大胆な推測にたどり着く。そういうつもりでそいつの顔をしばし眺めてみるが、こっちも酔っているのでその先は何も浮かばない。

どうしてなのと無邪気に聞いてもよいが、当たりだったらそんな失敗談は話したくないだろうし、特に理由もなければ質問に戸惑うだけで答えようがないだろう。

ま、この謎は酔いが覚めてから解明しようと飲み直すことにすると、翌日はこんなどうでもよいことになんでいろいろ頭をめぐらせたのだろうと思う。酒を飲んでいたせいだ。



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カラオケのルーツ

2016/12/05 13:47
私がニューヨークにいた若い頃、だれにだったか覚えていないが、ピアノバーに連れて行ってもらったことがある。

そこには黒いグランドピアノが置いてあり、白人の小柄なばあさんが鍵盤に向かって構えていた。客はほとんど日本人、赴任や出張で来た商社マンや現地法人の駐在員だろう。テーブル席が埋まってほどよく混んでいた。

客は酒を飲みながらマイクを回し、ばあさんの伴奏で日本の歌を歌った。次々と出てくるリクエストに、ばあさんはほとんど対応できた。今にして思うと、なぜあんなに日本の歌を熟知していたのか不思議だが、一曲終わるごとに「うまい、うまい、うまい」と若やいだ声を張り上げた。たまに知らない歌になると、ポロン、ポロンとリズムを取りながらつくろった。

異国の地で、日本人が寄り集まって望郷の想いに浸ったり、慰め合ったりする姿は、あまりみっともよいとは言えないが、昼間がんばったのだから、夜は素(す)に戻ってもとがめられるほどのことではない。あのばあさんは、たくさんの疲れたたましいを癒してくれたのだろう。

ニューヨークにはああしたピアノバーが、ほかにも数店あったのか、シカゴやロスにもあったのか、あのとき一度行っただけでよくは知らない。そのころ日本では歌声喫茶がはやっていたが、あれはみんなで合唱して連帯感に浸りたいもので、だいぶ趣きが違う。

時を経て、いまはカラオケが大はやりで、本家の日本から中国などにまたたく間に広がって行った。それに比べてアメリカでは見かけたことがないが、カラオケの源流はどうしたってピアノバーのはずだと思う。音響メーカーの役員か社員が、ピアノバーへ行ってヒントを得て、伴奏者のいらない機械を作ってみたら大ヒットしたのでは。それはよいが、アメリカへの赴任者は、近ごろどうやってたましいを癒しているのか。

私も最近までは、宴会のあとの二次会でよく歌ったが、歌いなれているのが7、8曲なので毎回同じでは飽きてしまう。自分で飽きるぐらいだから聞いている方はもっと飽きるだろう。それで前回は、歌わないで聞いているだけにしてみたが、退屈な上にいかにも能無し、芸無しに映る。どうしたものか。

中島みゆきのCDを2枚買った。車の中で聞きながら少し新境地を開いてみよう。



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不思議な性癖

2016/11/30 16:22
テレビ番組で私が毎週予約で録画するのは「NHKスペシャル」「池上彰のニュースそうだったのか」「サンデーモーニング」「ドキュメント72時間」「ダーウィンが来た」「サワコの朝」「ドクターX」といったところ。

「サンデーモーニング」は最近飽きてきた。スポーツコーナーが長すぎる。「ドクターX」も「水戸黄門」ばりのワンパターンで、マンネリの安心感が狙いなのか。BSの再放送で「刑事コロンボ」や「フーテンの寅」も、以前、見続けていて限界が来てやめた。

例外は「おしん」だった。週6回分90分を、土曜日にまとめてリバイバル放映されたときは、1年間欠かさず見通した。山形の貧農の子が、子守の奉公から始まって、東京で髪結い、結婚して反物商、佐賀で農業、三重で魚の行商、スーパーマーケットと、毎週、毎週、難問に直面しながら健気に働き抜く女の一生を描いて飽きさせなかった。年代別に主人公を演じた小林綾子、田中裕子、音羽信子もよかった。

さて、毎週予約だけでなく単発で予約することもあり、見たらすぐに消去、毎週の定番でもテーマに興味が薄いときは見ずに消去するのだが、容量不足で取れないときがある。妻がやたらに予約を入れるせいだ。

毎朝起きると新聞の番組表を手許において目星をつけ、せっせ、せっせと予約を入れる。それがまた料理、宗教、国内外旅行、映画、美術とやたらめったらで、ひょっとして録画依存症か認知症ではないかと思うほどだ。

それでもまだ、見て消してくれれば問題ないが、見もせずに放っておくからどんどんたまってゆく。見ないのになぜ予約するのかと聞くと「忙しくて見る暇がない」と言う。見る暇のない人がなぜ毎朝予約をするのか、ますます分からない。3分、5分の料理番組ならまだしも、2時間規模の映画となると容量をかなり使う。画質を落として時間枠を広げたが、それでも残量が見る見る減ってゆく。

私の見たい番組が、残量不足で見れなくなったら、と危機感を募らせて、妻が予約したつまらない番組(私から見てつまらないのだが)を大胆にパカパカ消すと、妻が気づいて憤然とする。

「謝ったらどうなのよ」と息巻くが、こっちにしてみれば、後始末もせずほったらかしにしてあるのを親切にも代わりに整理したのだから、お礼を言ってもらいたいぐらいだ。文句があるなら自分で予約した分量だけ消去して、プラスマイナスゼロにしてほしい。

消去を怖れてロックをかけてあるものもある。ロックをかけたまま安心してずっと見ることはないのだろう。残量がさらに減る。

妻が予約した昔の名画を私が見て、堪能してしばらくそのままにしておいてやることもある。でも妻がいつまでも見る気配がないので結局は消すことになる。

見るのが目的ではなく、予約するのが目的ならそれでよいのだろう。



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自分専用のテレビを買ってほしい





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